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トップライターあの人はいま〜地域おこし協力隊のその後の活動①富高俊一さん
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あの人はいま〜地域おこし協力隊のその後の活動①富高俊一さん

●地域おこし協力隊の活動期間:2016年8月から2019年7月
●ミッション:赤塩焼復活プロジェクト事業

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いいづなコネクトEASTのお隣にある旧赤塩保育園は、元地域おこし協力隊で、現在は集落支援員である富高俊一さんの陶芸の作業場となっています。中に一歩足を踏み入れると、入り口には、土を作るための大量の石が置かれ、部屋の中は薬品の袋、中型の電気釜、試作中の製品などが見られます。ここで、1日中ほぼ1人で制作に没頭されている富高さんに、これまでと、これからをお伺いしました。

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上赤塩のりんご畑から掘り出した赤塩焼きの元となる土。重機で5メートル近く掘るのだとか。作業場に運び込み、ゴミを取ったり細かく砕いたりと地道に土づくりをしています

 

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知らない人にはただの土ですが、富高さんには宝物。
協力隊着任当初は「作業場もなくブルーシートを敷いて作る作業から始まった。土を一から作っているところは全国でもあまり多くない」と富高さん。現在は、役場新庁舎に貼られる赤塩焼タイルの準備をしているそうです

 

富高さんは1987年大阪生まれ。子どものころから「ものづくり」が好きだったそうです。高校時代の美術の先生の影響で建築に興味を持ち、大学では建築学部ものづくりコースで木工、メタルワーク、陶芸を幅広く学びました。その中で、形が何もないところから作品を制作できる自由さや、色彩を釉薬で作る過程で、多様な色の表現ができる「陶芸」に魅力を感じ、専門的に学ぼうと奨学金を得て大学院へ進みました。

卒業後の進路に関しては、「陶芸を仕事にするのは難しい」と同じ研究室の先輩からも助言があったものの、諦めずに作品づくりを行っていました。そんなある日、新聞広告に載っていた「飯綱町の地域おこし協力隊」の募集を発見! 迷わず応募し、飯綱町地域おこし協力隊の赤塩焼復活プロジェクト事業に採用され、2016年8月より着任しました。

地域おこし協力隊とはいえ、地元の人も知らない赤塩焼の復活がミッションであったため、歴史ふれあい館の小栁前館長に話を聞いたり、町の中の情報を集めるところからスタート。その後、赤塩焼啓発委員会の設立や、歴史ふれあい館での赤塩焼展覧会の開催にも関わりました。また長野県の元気づくり支援金制度を活用し、赤塩焼きを知ってもらう啓発活動として、三水第二小学校(当時)や一般イベントで陶芸体験教室などを実施。「人に教える楽しさも初めて知った」と言います。

「まちの方から『こんな田舎に来てくれてありがとう』と言ってもらいますが、むしろ陶芸で仕事ができることへの感謝があります」と富高さん。作業場にこもって作業しているとき、役場の担当者が気にかけ頻繁に会いに来てくれたことがとても力になったそうです。そして「一人ではできなかった赤塩焼復活を、みんなの協力を得て形にできたことが何よりも嬉しい」と笑顔を見せてくれました。

2019年8月に地域おこし協力隊の任期を満了したあとは、集落支援員として引き続き町内で活動を続けています。現在の主な活動の一つに、役場新庁舎の壁に貼るタイルを赤塩焼で作成する依頼があります。またこれからは、赤塩焼の商品開発にもチャレンジしようと、石膏型から自身でデザインしたマグカップを製作中です。近い将来、飯綱町内の農産物直売所などで、富高さんこだわりの製品を手に取ることのできる日が訪れそうです。

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色を出す薬のかけ方で出る色が違うため、全て一点物です

 

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自身で設計した石膏型

 

富高さんのこだわりは、土や釉薬を市販の材料ではなく、なるべく飯綱町にあるものを原料として取り入れていること。みんなが何気なく捨ててしまうものの中に、飯綱にしかない価値を感じ、手間はかかってもそれを大切にしたいという富高さんの願いが込められています。例えば釉薬は、特産品のりんごの木の灰を使っています。朝5時から、5~6時間かけて灰を煮出し、その後も複数の工程があり、できあがるのに1~2か月近くかかります。人とのつながりの中で原料を仕入れることができることも、喜びの一つと語ります。
「地元にある素材をできるだけ作って、ここでしか出せない色や風合いを出したいんです」
飯綱町の赤塩焼きを復活させるためには、この町でしかできない表現方法が必要であり、これからもできるだけ大切にしたいといいます。

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赤塩地区の夏のイベントで、3,000枚近くのタイルを作成。参加したお子さんからお年寄りまでが協力してくれました。いいづなコネクトEAST入り口の正面の壁には、そのときの赤塩焼タイルが貼られています

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形にこだわり型から作ったタイル。2種類の粘土の調合比率を変えて12パターンも用意したそうです。その上から色を出す薬をかけ、昔の赤塩焼とは違う、赤や水色などの色を出すことにこだわったとのこと。
同じ大きさに見えますが、実は少しずつ違い、温もりが感じられます

 

 

「とかく地域おこし協力隊は、3年で帰ってしまう人などと偏見を持たれがちですが、僕はこの町に骨を埋める覚悟で来たんです」。富高さんには集落支援員の任期が切れる2022年3月以降もずっと飯綱町の赤塩焼に関わり続けたいという願いがあるのですが、「どうしたらこの町で制作し続ける環境を維持できるか?」と、陶芸で食べていく難しさにも直面しています。「そのための一歩として、赤塩焼の商品化に挑戦中なんです!」と力強く未来を見据えていらっしゃいました。

将来の夢は?と聞くと、「いつか飯綱町内で住居兼工房を持ち、赤塩焼の商品開発と同時に自分の作品の展示などもして、表現の世界を広げたいですね」と富高さん。また、「陶芸は作る過程で指先を使うという点でお年寄りにも子どもにもいいと思います。人に陶芸の楽しさを伝える経験は、自分にとっても楽しく、忙しくとも陶芸教室は大事にしていきたいですね。自分で作った作品を日常で使うことに喜びを感じてもらえるのは、うれしいです」とも話していました。
富高さんの想いが形になった赤塩焼の製品に触れる機会があったら、ぜひお手に取ってみてください。そして飯綱の恵みを原料に、人とのつながり、そして富高さんの情熱で作り上げた赤塩焼のぬくもりを感じてみてください。

 

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富高さんの作品が「陶工房 赤塩」として販売をスタート、いいづなマルシェ「む〜ちゃん」などで販売していますよ。コップとタンブラーの2種類あります

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「コップは、触り心地も追求したのでそれを感じてもらえたら。お気に入りの色を選んでください。タンブラーは数が少ないので限定品です!」(富高さん)

 

 

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