「いいづなコネクトEASTおよびWEST」は、町内の閉校した2つの小学校を、それぞれリノベーションして作られた廃校活用施設です。
少子化により児童生徒数が減少した長野県飯綱町は、平成30(2018)年3月、78名の6年生が卒業すると、町内の4つの小学校を閉校し2校に統合しました。
閉校となった三水第二小学校、牟礼西小学校の跡地活用方法については、地域住民組織である赤東未来創造プロジェクト、高岡地区活性化109委員会をはじめ、各所からさまざまなアイデアや意見が出されました。
それらに共通していたのは、まだ十分に使える思い出の校舎を取り壊すことなく、地域内外の多世代が交流する拠点として再活用してほしいというものでした。
検討を重ねた結果、令和2(2020)年5月に旧牟礼西小学校は、自然・スポーツ・健康をテーマにした自然体験交流施設「いいづなコネクトWEST」に(全館オープンは翌年4月)、同年7月には旧三水第二小学校が、食・農・しごと創りをテーマにしたしごとの創業交流施設「いいづなコネクトEAST」に生まれ変わりました。
旧三水第二小学校のこと
旧三水第二小学校は、現在、町の文化財となっている赤塩焼が焼かれていたとされる歴史ある地域にたたずみます。赤い屋根に、大きな時計と屋上の天体観測ドームが目を引くかわいらしい建物です。校舎内の壁は板張りで、木の温もりあふれる学校でした。全校生徒が集まって一緒に給食を食べたランチルームは、窓が天井近くまで大きく取られ、高い吹き抜けには銅板のシャンデリア。これは今もそのまま飾られ、交流の場として活用されています。なかでも特徴的なのは、教室で使われている大きな一枚ガラスの窓。大きく開け放っても、聞こえるのは鳥のさえずりや風の音だけ。流れる雲を眺めれば、穏やかな時間の流れを感じることができそうです。学校で使われていた古い棚や備品は大切に残し、施設内のカフェ「泉が丘喫茶室」で再利用しています。このカフェの名前は、校歌にうたわれた泉が丘という土地の名前からとったもの。この学校に通った思い出を絶やしたくないという想いで名づけられました。
旧牟礼西小学校のこと
旧牟礼西小学校は飯縄山を背にした標高605メートルの高台にあり、町を西側から眺めることができます。正門を入って右手には、大きなトチノキがその枝を広げ、長きにわたり子どもたちの成長を見守ってきました。シンボルカラーはブルーグリーン。当時にしては斬新な建物は、高名な建築家 宮本忠長氏による設計で、坂の途中に建っているため高低差があり、体育館へと続く廊下は50メートルもあります。通った者であれば、「三澤スロープ」「プール下のトンネル」「校庭の下を通る川」「高坂りんごの木」「学校の田んぼ」「裏手の川と畑」「走っていい長い廊下」などなど、思い出の場所があることでしょう。かつての職員室は、トチノキから名前をもらい、町の人が気軽に利用できるラーメン店「とちのき食堂」に。校長室は、誰でも自由に利用できるコミュニティラウンジになりました。保健室はランドリー、低学年の教室はフリースクールが入居しています。そのほか、もとは何の部屋だったのかを知ると、面影が感じられておもしろいかもしれません。
人を結び縁をつなぐ
大切な母校がなくなってしまうのはさみしいけれど、
役に立つところに生まれ変わってほしい。
人のいない学校はさみしすぎるから、
にぎやかな場所になってほしい。
そんな思いのつまったところ。
いいづなコネクトという愛称は、公募で寄せられたものですが、
コネクトという言葉が選ばれて、
考えていることは同じなんだと、うれしくなったことを覚えています。
遠く離れていても、見えない境界があっても、
点と点、線と線がつながると、新しい道ができる。
私たちはいつだってつながることができるという安心感。
あっちとこっちが手をつなげば、乗り越えられる強さ。
かつて、牟礼宿は、金沢と江戸を結ぶ中間地点で、
馬を乗り継ぐ中継地だったそうです。
いいコネを、あなたと誰かの中継地点に。
こうなってほしい → こうしていこうへ。
一緒に小さな一歩を。
飯綱町には、
チャレンジをサポートする土壌がある。
なぜなら飯綱町の未来を創るのは、
ここに暮らすあなた自身だから。
きっかけは何だっていい。
ほんの小さな“ずく”でかまわない。
ひとりひとりの小さな“ずく”が集まれば、
とてつもなく大きな力になる。
それは新しい仕事を創り、
新しい交流を生み、
欲しい未来を創り出す。
さあ今こそ!
ずく出して、いこう。
飯綱町の取り組みについて
飯綱町は地域の産業を
活気あふれるものとし、
女性の希望をかなえ、
子どもたちの元気な声が響き渡り、
町内に住むあらゆる世代が
元気に楽しく暮らすことのできる
夢と希望にあふれる町を
実現することを目指しています。