トップいいいいいいづなマガジンいいづな女子会議〜Vol.3 「だんどりの会」編 前半

いいづな女子会議〜Vol.3 「だんどりの会」編 前半

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今回のいいづな女子会議は、飯綱町の食と農を次世代に継承する活動をしている「だんどりの会」から4人の方にご参加いただきました。前会長で現在は顧問の宮本久子さん、現会長の黒柳博子さん、佐藤アツ子さん、長崎ミツ子さんです。

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そもそも、だんどりの会ができたのは、食育基本法がきっかけだったんだよ。牟礼村と三水村が合併して飯綱町ができた平成17年に、食育基本法が制定されたの。その24条には「国及び地方公共団体は、伝統的な行事や作法と結びついた食文化、地域の特色ある食文化等我が国の伝統のある優れた食文化の継承を推進するため、これらに関する啓発及び知識の普及その他の必要な施策を講ずるものとする」という文言があって、それに基づいて町で計画された「健康いいづな21」にも「地元の特産物を使用し、郷土食・行事食を体験する機会を増やそう」というのが盛り込まれたの。その具現化のために、それぞれに活動していた人が集まってだんどりの会が発足したの。ちゃんと法律に基づいているんだから(笑)。それから「段取り」と「ずく」、そして営々と受け継いできた飯綱の食の伝統をまとめた「信州いいづな食の風土記」が2年かけてできたわけ。

飯綱町の伝統的な暮らしや食文化がまとめられた「信州いいづな食の風土記」は、高度経済成長が始まり変化の兆しが見えつつも、江戸時代からの食生活が保たれていた昭和30年代にフォーカスしています。

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私たちの母親世代、明治生まれの人たちに聞き取り調査をしたんだよね。
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聞き取り調査や村誌を頼りにまとめたの。その頃は小麦なんて全部自給できてたの。
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うちも昭和40年代はまだ小麦作ってましたよ。
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本ができて良かったなと思ってたら、指導してくださった池田玲子先生に「これからが始まりだよ」って言われて。それなら次は伝えなきゃならないと、伝える人を養成しようということになり、テキストとしてまとめたのが、この『「いただきます」の向こう側』。命の語り人をめざして、なんていうかっこいい副題がついてるんだよ。この本をまとめるために、いろんな研究をしたよね。
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私は真夏の田んぼでイネの受粉を観察しました。おしべが出てきて、外に開いたときにはもう受粉は終わっているの。
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私はソバを担当しました。なぜソバの種は三角錐なのか、芽が先に出るのか根が先に出るのか、観察して初めて知ることがたくさんあった。
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トマトの実が付くときの規則性も初めて知ったよね。
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「いただきます」の向こう側』を発行した翌年に「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録されたのよね。今も研究がおもしろくて、村誌、郡誌やらひっくり返してますよ。

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調査、研究、まとめ、伝承とさまざまな方面から、食と農を学んでいるだんどりの会ですが、町内にある北部高校で地域授業を行うのも活動のひとつ。生徒たちに、箱膳※を通して「郷土料理」講座を教えています。

一般的に昭和30年代前半ごろまで、食事には杉板でできたふたつきの箱膳を使う家が多かった。なかにはごはん茶碗と汁椀、小手塩(小皿)、箸と布巾が入っており、食事のときにはふたを裏返して箱の上に置き食器をのせる。(中略)食べ終わると各自が茶碗に白湯を注ぎ、箸でつまんだ漬物できれいにし、それを飲み干し、布巾でふいて収納する。食器は何日かに一度洗うだけで、管理は各自の責任だった。 信州いいづな食の風土記P170

参考記事:「いただきます」って、なぜ言うの? 〜箱膳で学ぶ、食への感謝〜

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高校生といえば、たくあんの汁事件!(笑)
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箱膳体験で、食べ終わった茶碗は白湯と漬物できれいにするんだけど、そのたくあんの汁を見てひとりの男子生徒が「それ飲むんすか?」って驚いた顔がおもしろかったね。
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飲んでみたら「うまかった」って言ってましたよ。
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黒柳さんはトルコキキョウの栽培農家で、栄養士の先生として栄養指導や食育活動にも取り組んでるんですよ。なんと、遠く四国からお嫁に来たんだよね。
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結婚当初は東京に住んでいたんですけど、都会暮らしに魅力を感じていたわけでもなく「帰るぞ」という主人の言葉に従って飯綱町に来たんです。
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今ではどっぷりこっちの人よね。
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舅が亡くなった後、主人は勤め人だったので、一人で農業をしてきました。一人でやっているから時間の調整もつけやすくて、こういう集まりにも参加できたんですね。ここにいる皆さん、本当に多趣味なんですよ。
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アップルパイや、染め織りね。ほかにもたくさんあるね。長崎さんは、4人お子さんを育て上げて、なんでもやるよね。多趣味の代表選手です。
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動物の赤ちゃんは、自分でお母さんのお乳を探して飲むそうですが、うちの子もそうだったんですよ。手がかからなくて。その代わり、うちは兼業農家でも当時はヤギやら鶏やら飼っていて大変でした。コンフリーを食べ過ぎてお腹をこわしたヤギを正露丸で治した思い出もあります。結婚してから初めて触れた農業ですが、炭焼きから始まって、畑、家畜、どれも楽しくておもしろかったですよね。
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ヤギの乳を飲んだ鶏の卵は黄身がしっかりしていて本当に美味しいの。この写真(信州いいづな食の風土記P86)は長崎さんのおじいちゃんよ。
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いろいろなことをしてきたけど、快く出かけさせてくれる旦那さんが偉いって言われたよ。
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私は「行ってよろしいでしょうか?」って、ちゃんとお伺いをたてるわ(笑)。
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アッちゃんは三水生まれの三水育ち。地元で就職して地元で嫁いだんだよね。
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1980年に提唱された一村一品運動をきっかけに、当時、村おこしが流行ったでしょ。それでアップルパイを作ったり、染め物、織り物、いろいろやったわね。りんごで染めた苹果(ピンゴ)染めの生地でパッチワークしたタペストリーは、1993年の信州博覧会にも出品してね。
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あのタペストリーは本当にすばらしいもの。これからも活用していきたいね。小正月はここらでは繭玉ではなく「木綿玉」を飾る風習も残っているでしょ。江戸時代初期に木綿が普及して、やわらかい布団になって、それは嬉しくてありがたいものだったと思うよ。それまでは麻だよ、想像できる? 寒かったろうね。そういう話をすると子どもたちも、昔の人は偉かったなって手仕事の大事さを感じられる。その「想い」を伝えたいね。

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<後半へ続く>

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