飯綱町の美しい風景と混ざり合うような
オリジナルの標識やサインを製作してみたいですね。
生まれ育った東京での暮らしや育児にストレスを感じ、飯綱町の「幼児教室大地」で子育てをしたいと移住した矢作啓充さん。長野市の看板制作会社で活躍しつつ、移住者だから感じる思いを抱いて 町の魅力促進や若者流出の対策も考えている。
ストレス社会からの移住
「息子を里山教育を行う幼稚園『大地』に通わせたいと思いつつも、飯綱町への移住を迷っていました。そんな時に見学した『大地』で、民俗芸能を伝承している親が、子どもたちに芸を披露している時に失敗してしまったんです。でも『いいかい、人生はやり直せるんだぞ』と真剣に子どもたちに話しながら、もう一度素晴らしい芸を見せてくれました。その時の姿が僕を後押ししてくれ、移住を決めました」
こう話す矢作さんは、東京の下町で育ち、美術館のサイン(標識)製作会社を経て家業を継いでいた。しかし、子どもが生まれると、マンション暮らしで子どもの泣き声が近所迷惑ではないかといった心配や、将来的な仕事の不安からストレスを抱くように。そんな時、雑誌で見た「大地」に興味をもったことがきっかけで飯綱町に見学に訪れ、移住を決意した。仕事は決まっておらず親戚もいなかったが、重視したのはどこで子育てするかだった。
看板から町の魅力を醸成
これまでのキャリアを生かし、現在は長野市の看板製作会社・アドイシグロで営業職として勤務。イベントのパネルや店舗の看板から小さな名札まで、多種多様な製作を手がけている。そうした同社の技術は飯綱町でも生かせるのではないかと矢作さん。
「飯綱町は何もないと言ったら語弊があるけど、だからこそ美しいのだと思います。そんな風景と混ざり合うようなオリジナルの標識やサイン類を製作し、町の魅力を生かしたいですね。この町だからこそできる製作物やサービスがあると考えています」
同時に、町で暮らした若者が都会に出てしまい、地元に帰って来ないことには寂しさも感じているという。その対策として「時代の変化に応じ、変えないといけないこともある」と矢作さん。例えば、移住直後に地区の役員を任されたが、地区内の連絡網にもっとメールなどを活用すれば雑務が解消でき、その結果、若者がより地域のことに参加しやすくなる仕組みづくりができるのではないかと感じたという。
「もっと多くの人が町で暮らし、魅力のある町にしていけたらと思っています」
PROFILE
東京都江戸川区出身、飯綱町普光寺在住。1973年生まれ。多摩美術大学を卒業し、サイン製作会社での勤務を経て、家業を後継。2006年の長男誕生を機に子育て環境を考え、2007年飯綱町に移住。同年、アドイシグロ入社。営業職として、看板などの屋内外広告物などの製作を手がけている。