都会で飯綱町が有名になるような取り組みから
町の農産物の販売促進につなげられるといいですね。
忙しかった都会でのサラリーマン暮らしを辞め、バイクで日本一周の旅に出た浦辺政史さん。その途中で農業の楽しさを知り、昔から大好きだったモモの農家になるために飯綱町へと移住した。
バイク旅から農業に開眼
東京で生まれ育ち、静岡県で就職をした浦辺さん。仕事に疲れ、26歳の時にふと思い立ったのが、愛車のバイクでの日本一周の旅だった。北海道から沖縄まで、のべ5年半をかけて旅するなかで、沖縄ではサトウキビの製糖工場に従事。暑いなかでのキビ刈りに清々しさを感じ、次第に農業を志すようになったという。また、バイク旅では長野を気に入り、何度も訪れるように。そして「いつかは長野に住み、以前から好きだったモモを作りたい」という夢を抱くようになった。
そこで、旅を終え、就農資金を貯めるために愛知県の自動車関連企業で3年ほど勤務。愛知県から近い長野県飯田市で援農(ワーキングホリデー)も経験した。
「でも、気候変動の影響を考えると、今後は長野県北部での就農がよいと思うなかで、東京で開催されていた『新農業人フェア』で、飯綱町でモモが栽培できることを知ったんです」
こうして、飯綱町に移住し、「アップルファームさみず」の就農研修生に。2年間、モモとりんごの特別栽培(化学肥料不使用の減農薬栽培)の方法を学び、現在は独立と同時に結婚した妻と、離農した農家のモモやりんごの畑を借り受けて農業に励んでいる。
「手をかけた分、農作物が応えてくれるところが農業のやりがいです。サラリーマンのように時間に束縛されず、景色もよく、妻と愛犬との農作業の毎日は楽しいですよ」
糖度が高いこだわりのモモ
モモ農家としての浦辺さんの取り組みは、完熟期に収穫すること。
「いろいろなモモを取り寄せて食べてみますが、早採りのものは糖度が低く、おいしくないんです。だから、収穫のタイミングを極力遅くし、糖度を高めています。すると、日持ちはしませんが、天候に恵まれれば自分でもおいしさに納得できるモモが収穫できます」
こうしたこだわりのモモは、友人や知人づてに販路が広がっているものの、今後はさらに首都圏でも販売できたら、と浦辺さん。
「実は、今までりんごをおいしいと思ったことはなかったのですが、飯綱町で初めておいしいと感じました。こんな風に、都会には知らない人が多いと思うんです。そこで、町として首都圏で知ってもらえる取り組みができたらいいですね」
まずは町を知ってもらうこと。そのためには何ができるのか、移住者ならではの視点と地元住民の価値観から生み出せるものがあるかもしれない。浦辺さんの話を聞いていると、そんな思いがこみ上げてきた。
PROFILE
東京都出身、飯綱町芋川在住。1975年生まれ。大学卒業後、静岡県の自動車のレース関係企業や営業会社に勤務。26歳の時、愛車のカワサキゼファー750で、のべ5年半の日本一周の旅に。2006年から愛知県の自動車関連企業で約3年働き、職業訓練校で半年間、園芸コースを学んだ後、2011年、(有)アップルファームさみずでの就農研修のために飯綱町に移住。2013年独立。