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024 バッグ作家 森 うい(中林うい)さん

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牟礼駅前がにぎわったらうれしいので
空き店舗があったらお店を出したい。

バッグ作家・中林ういとして全国に名を馳せる森ういさん。<2012年に飯綱町に移住して以来、全国誌で町の魅力をPRしたり、町内外で展覧会を開催したり。豊かなアイデアで町の暮らしと人とのつながりを楽しんでいる。

 ユーモア溢れる世界観と、ウキウキするような色使い。手作りならではの繊細さと味わい深さ。バッグ作家として全国で活躍する森ういさんの作品は、思わず微笑んでしまうような魅力が詰まっている。
 幼少期から絵が好きだった森さん。武蔵野美術大学でファッションを学び、卒業した1999年、「ui(ウイ)」というブランドを立ち上げ、バッグ作家として活動を始めた。
 「バッグというファッションアイテムで、絵を持ち歩くように使ってもらいたい」という思いを込めたバッグシリーズは、新人アパレルデザイナーの登竜門である合同展示会ですぐに人気になり、全国のセレクトショップと取引が決定。メディアからも多くの取材を受け、これまでに8冊の本を出版している。

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学生時代、将来の仕事を考えている時に、バッグが壁面に並んでいる絵が浮かんだという森さん。毎回、テーマを設けてバッグを制作しており、現在、仕事部屋の壁には2013年の展示で作った「サーカス」シリーズが並ぶ。

 そんな森さんが飯綱町に移住したのは2012年。東京のせわしない生活に不満や不安を抱いていたところに東日本大震災が発生し、当時3歳だった息子には災害時でも生き抜く力を備えたい思いもあって、以前に雑誌で読んで気になっていた飯綱町の里山教育の幼稚園「大地」への入園と移住を決めた。
 「地域のみなさん、よくしてくれましたし、知り合った三水郵便局の局長もいい人で、すっかり町が好きになりました。そこで、雑誌で取材を受けると勝手に町をPRしたり、以前連載をもっていた雑誌『天然生活』ではりんご農家に取材に来てもらいましたね」
 2013年には、森さんを訪ねて来た京都のグラフィック工芸家・井上由季子さんも局長の人柄に魅了され、郵便局2階のギャラリーで作品展やワークショップを開催。さらに2016年には、井上さんが京都で営むギャラリー「モーネンスコンピス」で「りんご展」を企画した。木工作家・松木啓直さんや木版画家の深田明弘さんといった飯綱町の作家と、京都の作家の作品を同時に展示したほか、京都の食堂による飯綱町のりんごを使ったお菓子や、山下フルーツ農園(P60)のソースやジャムも販売。森さんもりんごのマグネットやコースターなど、普段とは異なる作品で出展を満喫した。
 こんな風に、新たな観点から飯綱町の暮らしを楽しむ森さんが今考えるのは、牟礼駅前の充実だ。

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バッグは小さめサイズ(B5変型)で内ポケットはひとつ。持ち手は本革で、手になじみやすいものを。そのスタイルは当初から変わらない。現在、セレクトショップでの販売はやめ、全国各地で作品展を開き、受注生産するスタイルを取る。

 「東京から新幹線で長野に来る人にとって、長野駅から電車で30分の距離はとても便利です。そこで牟礼駅前がにぎやかになったらうれしいし、空き店舗があれば自分で生地屋やギャラリーを併設した店を出したいんです。夫には心配されましたが、善光寺周辺でやるのは意味がない。牟礼駅前でやるから面白いんです」
 そんな森さんの豊かな発想は、聞いているこちらも楽しくなってくる。そのしなやかな想像力には、まちづくりのヒントがまだまだ眠っているように感じる。

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うろこが生えたようなジグザグの形の家は、上伊那郡宮田村の設計事務所「暮らしと建築社」によるもの。施工は町内のツチクラ住建が手がけ、2014年に完成。仕事部屋の窓からは農作業の様子や里山の季節の変化が見え、それが制作にも反映されている。

PROFILE

東京都大田区出身。1975年生まれ。旧姓・中林。武蔵野美術大学空間演出デザイン学科に進学し、ファッションを学びつつ、ダンボールを使って実物大のキッチンを制作するインスタレーションに取り組む。1999年卒業し、バッグブランド「ui」を設立。2002年に手芸本の先駆けとなる『Happy Sunday』(文化出版局)を出版し、6版まで増刷されるなど、これまで8冊(+2冊の翻訳版)の書籍を発行。2012年、飯綱町に移住。夫と8歳の息子、3歳の娘、猫2匹と暮らす。

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