消費者が求めるものや興味を探り、
米の効果的な販売方法を考えたい。
父の代から25年間続く米農家の後を継いだ丸山純さん。環境を生かしながら適切で効果的に肥料を施す農業を実践し、若者の米離れが進む時代のなかで米農家として生き残る方法を常に考えている。
「飯縄山東斜面にあるこの一帯は、朝日がよく当たるので稲が病気になりづらく、昼夜の寒暖差から甘くおいしい米ができるんです」
こう話す丸山純さんは、東京農大短大部を経て地元の飯綱町中宿に戻り、父が始めた米農家を継いだ。手がけるのは「への字型栽培」という方法。従来の稲作では植え付け前に元肥を入れて生育を促進し、2カ月ほどで元肥が切れると追肥し、右肩上がりに栄養分(窒素)を効かせ稲穂を実らせる「V字型栽培」が行われている。「への字型栽培」は逆で、栽培中期に栄養状態のピークを作り、後半はじっくり実らせる。「V字型」より自然に近い栽培法のため、稲倒伏や病気に強くおいしい米ができるという。
「嘘をつかず、自分ができる農業をしています。有機や無農薬はひとつの方法ですが、うちは化学肥料も農薬も使います。良い悪いではなく人間は風邪を引いたら薬を飲むように、稲にとっての農薬は薬ですし、残留農薬はほぼありません。購入者にはそれを知ってもらうために、何を使っているか正直に示すのが一番だと思っています」
現在は生産量の3割を個人に直販し、残りを玄米の状態で業者に卸す。しかし、将来は個人向け販売を増やすためにも、町全体でのブランド化が丸山さんの願いだ。
「飯綱町は環境的においしい米ができるのに、知名度が低く陰に隠れています。そこで、町全体で方向性を考え、農業だけでなく観光にも力を入れることで農産物を売る形を作っていきたいです。個人の努力で販売をしている方もいますが、その人に町がついていくのでなく、町に引っ張ってもらいたいですね」
そこで、農協青年部や4Hクラブ(農業青年クラブ)のほか、町が開催するICT(情報・通信技術)を活用した農業技術研究会にも積極的に参加。そうしたなかで三水地域を中心に若手農家と知り合う機会はあるが、今後は異業種の人とも話す機会をもちたいという。
「今は人口減少も若者の米離れも進んでいますが、若い人に売るにはどんな方法があるのか、白米か加工すべきか、いろいろ試したいと思っています。そのためには幅広い世代に、求めているものや興味があることを聞きたいですね」
正直、農業の未来は明るくないと話す丸山さん。しかし、そのなかで生き残りを考える前向きな視線の先に、生産者と消費者の新たな関係が生まれる可能性を感じた。
PROFILE
飯綱町中宿出身・在住。1978年生まれ。東京農業大学短期大学部を卒業後、地元に戻って家業を継いだ。20代前半から農協青年部や4Hクラブに参加。現在は父母や妻と協力し、米、大豆、りんご、さくらんぼ、ブルーベリーを栽培している。2014年に父から経営移譲され、代表に就任。10歳の息子と7歳の娘の父。