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016 有限会社長崎電機商会代表取締役社長 長崎政信さん

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飯綱町唯一の電気屋として、
なくてはならない店にしていきたいです。

父の意志を継ぎ、家業の電機屋で活躍する長崎政信さん。飯綱町唯一の電機屋として毎日忙しく町内を駆け回るかたわら、地域の行事や仲間との集いにも積極的に参加。仕事でもプライベートでも、幅広い世代と交流を深めている。

 以前はいくつかあった飯綱町の電気屋も、今では昭和46(1971)年創業の「長崎電機商会」が唯一となった。二代目代表の長崎政信さんは、電気工事もしながら電化製品の販売や修理をしたりと、忙しい日々を送る。
 「業界としては、やはり家電量販店やネット販売の台頭で苦戦しています。でも、価格では勝負にならないので、アフターサービスでこまめに動いていますし、修理の仕事は家電の販売と関係なく依頼がいただけますね。おかげさまで家業に入って18年間、仕事がなくて困ったことはないです。ありがたいですね」
 小学生の頃から「長男が後を継いで当たり前」と父に言われて育ち、電気科がある高校、短大と進学した長崎さん。神奈川県横浜市の電気屋での修業を経て、24歳で家業を継いだ。

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電気部門のほかに、給排水設備や住宅リフォームも手がける長崎電機商会。現在は母の百合子さんと姉の小林真弓さん、妻の澄美さんが店に立ち、水道部門は義兄の小林進さんと従業員が担当。住宅リフォームには大工を雇い、電気・水道工事は自社でできることを強みにしている。

 「神奈川には友だちが多く、帰ってくるのは抵抗がありましたが、地元に戻らないといけない意識もありました。そこで、帰ってからは自営業として早く地域に慣れようと、地元のお祭りや消防、公民館の行事などに進んで参加しましたね。すると、どこにも必ず同級生や知り合いがいて、よく遊ぶようになったんです」
 仕事はすぐに一人で電気部門のすべてを任され、現在は弟の英治さんのほかに従業員も雇っている。そんな忙しい日々のなかでの楽しみは、仲間との集いや飲み会だ。
 「合併11年の飯綱町は、年配になるほど牟礼と三水で分かれてしまう。でも、僕たちの世代は同じ中学に通っていたこともあって抵抗がないので、気の合う町のメンバーで集まるようになったんです」
 それが「わくわくドキドキネットワーク(通称・わくドキ)」。そうしたメンバーと11月27日を「飯綱の日」と語呂合わせし、毎年「いいづなアップルミュージアム」でコンサートを開催したり、フリーペーパー『きづな』を発行したり。
 「行動力がある人ばかりで本当に面白いです。一番すごいと思ったのは、東日本大震災の時。神奈川時代に研修先で一緒になった同期が岩手で被災し、妻子と母親を亡くした話をみんなにしたところ、その場で支援に行こうと決まり、同期に連絡を取って必要なものを聞いて、次の休みにみんなで岩手まで行ったんです。その後も何回か被災地支援に行き、『わくドキ』でもチャリティコンサートを実施して100万円弱を募金しました」
 そんな仲間との町の暮らしは「何もない田舎だけど楽しい」と話す長崎さん。だからこそ、地元で商売をする立場としても、町の人口が増えることを願っている。そして、そのためにも町唯一の電気屋として「町民にとってなくてはならない店」にしていくことが長崎さんの目標だ。

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長男が小学6年の時にはPTA会長も務めた長崎さん。「以前は忙しくて、子どもの入学式も授業参観も行っていなかったんですが、やってみると子どもの姿も見ることができて面白かったです。お母さん方とのつながりもできたし、先生方とも仲よくなれてありがたかったですね」

PROFILE

飯綱町倉井出身・在住。1975年生まれ。姉と弟がいる3人兄弟の長男として育つ。父の希望で中野実業高校電気科に進学し、卒業後は「一度は都会へ出てみたい」との思いから神奈川県の電気科がある短大に進学。卒業後は3年間、神奈川県横浜市の電気屋で修業を積み、1999年に家業へ。同年結婚し、現在は中学生と小学生、保育園児の3人の父でもある。

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