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013 レゲエ・ディージェイ 関 雄登(APPLE EYE)さん

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「APPLE EYE」という名前で
常に地元を背負っている感覚があります。

レゲエ・ディージェイ「APPLE EYE(アップルアイ)」として2017年で活動17年目を迎える関雄登さん。地元愛をアーティスト名に込め、長野を拠点に活動していたが、2016年より東京に拠点を移しつつ、地元での活動も展開している。

 2016年6月。2年後に閉校を控えた三水第二小学校で、レゲエの講演会とライブが行われた。飯綱町にジャマイカ発祥のレゲエ!? と驚いてしまうが、その発起人が同校出身の関雄登さんだ。
 中学時代からパンクロックに興味をもち、高校までバンドを組んでいた関さん。卒業を機に解散したが、ある日、幼なじみがダンスホールレゲエ(楽曲に合わせて喋るスタイルのレゲエ)を聴いていたことから、次第にレゲエ・ディージェイに惹かれていった。
 「歌詞がいいことを言っていると思ったんですよ。それで、楽曲に歌詞をつけるだけならできそうじゃん、と思って始めたら難しくて。最初は韻も知らないほどでした」
 そこで、県外からのアーティストのライブに足を運び、徐々にテクニックを習得。1年ほど経った頃、ある音楽レーベルから声がかかって、東京で新人発掘企画に参加した。20人ほどから関さんが選ばれ、翌々年、初めてのCDを発売。そして「この道を続けるなら本場を知らなければ」とジャマイカに行き、老若男女の生活にレゲエが根付いている様子に衝撃を受けた。
 「テレビやラジオは5軒に1軒しかないほど貧しいけど、レゲエの言葉が人々の励みになっているんです。レゲエが確実にメンタル面を支え、教育にもなっていました」
 というのも、ジャマイカでは教育の質が低く、盗みなども日常茶飯事。そこで、レゲエの歌で犯罪禁止を訴えるなど、ミュージシャンが活躍しているという。

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東京では同業者が多いことが刺激となり、仕事も増えた。また、夢をもった人が多い環境は気持ちが楽になる部分もあると話す。これまでに北海道から九州まで全国各地でライブをし、オムニバスの形でリリースしたCDは25枚ほど。「今まで発表した曲をひとつに集めた自分名義のCDをいつかは出したいですね」

 そんな刺激を受け、帰国後は上京を考えていた関さん。しかし、ジャマイカ人は出身地を誇りにしていることから、拠点を長野に決め、県外へも活動を広げた。「APPLE EYE」という名も、祖父母がりんご農家で、町の特産を押し出したい思いもあって命名。そんな折、人生の分岐点が訪れた。
 「東日本大震災の年に祖父母が亡くなったんです。両親が共働きだったから、ふたりによくしてもらって『頑張れよ』と応援してくれていたことも思い出して。それに、葬儀では怒られると思っていた大学教授の叔父から『好きなことをやって生きていけ』と言われ、音楽を続けようと決意を固めましたね」
 そして昨年、再び東京の会社に上京を誘われ、葛藤はあったものの、年齢的には最後のチャンスと考えて活動の拠点を東京へ。そうしたなかで、飯綱町の先輩や友人の協力を得て、三水第二小学校でのイベントを企画した。「音楽を通して僕らしかできなかった新しいことができた」と手応えを感じた関さん。今まで音楽を通じて元気をもらってきたからこそ、これからも続けることで人々を元気づける音楽を目指していく。

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母校・三水第二小でのイベントは、友人で「レゲエダンス世界一」に選ばれ、全国の学校などで講演を行うダンサー・I-VANさんから依頼を受け企画したもの。「生徒たちと思い出を作り、そこから廃校後の跡地利用のイメージを広げられたらと思いました」

PROFILE

飯綱町赤塩出身。1981年生まれ。2001年、活動開始。2002年、ジャマイカへ。2004年、再渡航。2005年、SOCA ESCAPEより「Up in Water」収録HEMO+MOOFIRE「BACCANAL45」リリース。2014年にはレゲエの本場RMRrecordsよりBAD MI BAD RIDDIM「MY WAY」リリース。他にMIX CDの参加や配信多数。2016年、拠点を東京へ。

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