飯綱町の食材を使った加工品や農産物を
時代に即したツールで全国に発信していきたい。
子どもの頃から好きだった料理の世界に進み、「ホテルJALシティ長野」で料理人として働く宮腰貴洋さん。子育てのために戻ってきた飯綱町で新鮮な農産物にふれながら、将来は町の野菜や加工品のネット販売も見据えている。
大阪で料理と商いを勉強
幼少からの夢だった料理人を目指して大阪の「辻調理師専門学校」に進学し、厳しさで知られる府内のフランス料理店に就職した宮腰さん。3年目にはデザートやテイクアウト用ケーキを作る菓子部門を任されるようになった。
「料理は素材を生かして味付けするのに対し、お菓子は小麦粉と卵、砂糖から作る。考え方が違い、できるものは無限だと感じましたね」
そうしたなかで卵や乳製品のアレルギーをもつ知人の子どもと出会い、「将来、自分の店をもつならアレルギーのことも含め、料理以外も広く学ぼう」と思うように。同時に、会社と若手育成の方向性の違いを感じたことから、いずれはWEBを使った商売も見据えてApple関係の仕事に転職し、夜は知人が営む大阪市内の居酒屋で働いて飲食業に携わり続けた。
「居酒屋ではカウンターでお客様と話しながら目の前で料理をすることを学びました。それに大阪人は人をつなげるのが上手で、そこから新しく商売が生まれちゃう。商いってものを学びましたね」 その後、常連客の縁で本格的に洋菓子を手がけるレストランに再就職。製菓の基礎を徹底的に学んだ。
夢は町の農産物の全国発信
飯綱町に戻ったのは2013年。結婚して長女が生まれ、子育てをするなら自分が育った町で、土や自然にふれさせながら祖父母と育てたいという思いからだ。現在は朝食バイキングや宴会の料理が評判の「ホテルJALシティ長野」で料理人として働いている。
「個人店ではすぐに料理をお客様に食べてもらえましたが、ホテルでは会議や講演などで時間が経ってもおいしさを保つにはどうすべきか考えろと料理長から言われます。料理は死ぬまで勉強ですね」 そうしたなかで、飯綱町産の農産物を料理に使うことも多いという。そんな宮腰さんが今後見据えているのは、町の食材を使ってジャムなどの加工品を作ったり、生産者の新鮮な農産物をインターネットを介して全国に販売すること。
「WEB上の青果店のような感覚です。実は昨年夏、農家の友人のトウモロコシをフリマアプリで販売したら予想以上に売れ、手応えを感じました」
そのために、町内での人脈も着々と広げている宮腰さん。長年培った料理の技術と大阪で得た商売のノウハウ、そしてWEBの知識と地元愛から展開していく今後の動きに期待せずにはいられない。
PROFILE
飯綱町横手出身、1983年生まれ。上田西高校でサッカーに励み、辻調理師専門学校に進学。19歳で大阪のフランス料理店「レストラン・シャンソニエ」に就職し、5年間の修業を経て、Appleのコールセンターで約2年半、iPod部門を担当。その後、料理店「ル・アイ」で働き、29歳で結婚。長女誕生を機に帰郷。翌年より現職。