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IIZUNA 100 PROFESSIONAL PEOPLE

084 やまじゅうファーム 中村淳子さん

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父の姿勢を受け継ぎ、町のりんごのブランド価値向上から
自社ブランドの価値も高めていきたい。

高齢化で離農する近隣農家から畑を譲り受け、年々農地を拡大し、今や3.5町歩もの畑で約15品種のりんごを育てる「やまじゅうファーム」。中村淳子さんは、そうした両親の実状を把握し、家業の後を継ぐために県外から飯綱町に戻ってきた。

女性経営者としての覚悟

 りんご農家が多い倉井地区でも、特に広大な畑で多品種を育てる「やまじゅうファーム」。長女として育った中村さんは、中学卒業後、飯綱町を離れて松本市のバレーボール強豪校・松商学園高校に進み、卒業後は県外に進学、就職した。昔から家業は自分に向いていないと思い、継ぐ気はなかったという。しかし、介護職やアパレル業などを経て30歳を過ぎた頃、今後の人生を考えるタイミングを迎えた。  「若い頃はたまに帰省しても家族の状況が見えていませんでした。でも、年々、畑を拡大していることに少しずつ気付き始めたんです」
 そこで、自分の仕事を見直す期間として、2015年の春、約1カ月半、畑の仕事を手伝いに帰ってきたことで、家族の実情を把握。
 「兄も弟も実家に残っておらず、両親からは『お前が継げばいい』と言われましたし、両親とお互いに離れて心配して暮らすなら、私が継ごうと思うようになりましたね」
 それでも、毎年新品種に取り組む父のような挑戦的な仕事ができるのかと覚悟を決めきれなかった中村さん。そこで、当時住んでいた群馬県の知人たちに相談すると「消費者は女性が多いので、これからは女性経営者もよいのではないか」との後押しもあり、不安を抱きつつも徐々に気持ちを固めていった。

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「やまじゅうファーム」のりんごの木は高さがあることでも知られる。「木の横への生育は限界があるが、上は限界がない」という中村さんの父の考えによるものだが、「仕事をするほうは高所作業車から目一杯、体を伸ばして命がけ」だと中村さんは笑う。
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以前に住んでいた群馬の知り合いから注文が入り、おいしいと喜ばれることが中村さんの力になっている。群馬では口コミで評判が広がっているそうだ。ダンボール箱は、以前に飼っていたリスとりんご、そして「前にしか飛ばない」という理由で父が希望したトンボのイラストが特徴。

実家に帰ってきたことで新しい風を吹かせたい

 こうして、その年の秋に帰郷し、無我夢中で仕事をこなすうちに2年が経った。中村さんは常に「りんごは手をかければ応えてくれる」という父の言葉を意識し、大事に育てることで消費者に「おいしい」と喜んでもらえるりんご作りを心がけている。また、自分が実家に戻ったことで何か変化をもたらしたいと考え、配送用のダンボール箱を市販のものから一新。町内に住む漫画家のこばやしひろみちさんにアイデアを伝え、イラストにしてもらった。
 「周りの農家との差別化と、私が戻ってきたことでお客様にも変化を感じてもらいたいと思いました」
 また、ホームページを作り、SNSやメールマガジンの配信も開始。今後は父の努力と挑戦する姿勢を受け継ぎ、飯綱町のりんごのブランド価値とともに「やまじゅうファーム」の付加価値を高めていきたいと話す。そのためにも高い品質を保ち、宣伝力も上げていくことが中村さんの目標だ。
 「今は若者の果物離れもあるので、改めてりんごのおいしさと必要性を発信していきたいですね。そのためにも、うちならではの魅力をアドバイスしてくれるような方と町内でつながれたらうれしいです」

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今まで経験したさまざまな仕事が中村さんの今に生かされている。「接客業や工場のレーン作業など、今まで勉強させてもらって今があるように感じます」。栽培の技術面では地区内の「アップルファームさみず」の勉強会や生産者同士の交流会で学んでいるという。

PROFILE

飯綱町倉井出身・在住。1984年生まれ。りんご農家兼バレーボール一家に育ち、松商学園高校に進学し寮暮らしを経験。卒業後は栃木県の介護専門学校に進み、介護福祉士の資格を取得。群馬県の介護施設に就職したが、ケガにより退職。その後、人材派遣業やアパレルの接客、ホームエステの仕事などを経て、2015年、家業を継ぐため帰郷。

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