商工会で言いたいことが言える仲間と出会え、
一人ひとりが認め合えています。
叔父が立ち上げ、父がともに働いていた建築板金業を継承し、社長としてハウスメーカー・ホクシンハウスの仕事を中心に長野県内外で仕事を展開している髙野 亨さん。町の商工会青年部長としても活躍している。
段取りで効率よい仕事を
屋根や外壁、雨といなどの製造・施工をする建築板金業として叔父が創業し、父がともに働いていた建築板金業の髙野工業を引き継いだ髙野さん。ハウスメーカー・ホクシンハウスの最古参の協力業者として、新築はもちろん、近年はリフォームも多く手がける。
「一軒一軒同じ現場はなく、天候によっても仕事は違う。毎日仕事の変化があって、長丁場の現場があまりないのは面白いです」
そうしたなかで、いくつもある現場の段取りを考え、効率よく仕事をしているのが髙野さんの強みだ。
「現場の数が多いので段取りが大事です。職人は自分が一番だと思っていないと務まらないので、現場の数があるのはありがたいですね」
商工会青年部部長として
髙野さんは長野工業高校土木科を卒業後、測量の会社に入社。長野冬季五輪前の需要で就職先は引く手数多だったが、五輪後、仕事が減り、給料が激減。そうしたなか、地元の飯綱町の職人仲間から「板金屋をやってみては」と言われ、髙野工業への入社を決めた。
「この仕事を逃せば次はないという気持ちがあったかもしれません」
働きながら、長野市の職業訓練校に通い、必要資格を取得。2004年には社長の叔父が体調を崩したため代替わりし、袖之山にあった工場を自宅の坂上に移した。
現在は時折、父に手伝ってもらいつつ、県内外の現場を飛び回っている。同時に、髙野工業入社を機に入った町の商工会では青年部部長も務める。
「誘われて入った商工会ですが、言いたいことを言える仲間が増え、一人ひとりが認め合えています」
そんな髙野さんが町の若者に対して思うこととは──。
「飯綱町は大学等で外に出ても帰ってくる人の割合が多いと言われますし、横のつながりは強いですね。だから、若い人には外に出ても、いずれ学んだことを地元で生かしてほしい。そうすれば、私たちは安心してサポートに回れます」
会合などでは率先して意見を言うタイプだという髙野さん。仲間が集まる場も自ら作って町の暮らしを楽しんでおり、若者への言葉はたくましく響いた。
PROFILE
飯綱町坂上出身・在住、1978年生まれ。1996年長野工業高校土木科卒業。測量の会社に就職し、1998年髙野工業入社。働きながら、3年間、長野市大豆島にある職業訓練校の板金科で勉強もした。2001年ゆかりさんと結婚。長野市で暮らしながら飯綱町に通っていたが、2004年、髙野工業継承に伴い、飯綱町に帰郷。商工会に入り、2016年より青年部部長を務める。高1の娘と小6の息子の父。