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076 画家・絵本作家 さくらい史門さん

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自らの手で生活を生み出す方法を探りながら、
いつか飯綱町に何らかの形で還元したい。

幼稚園「大地」で働くために飯綱町に移住したさくらい史門さん。イラストレーター・絵本作家として独立し、飯綱町での暮らしを楽しんでいたが、子育てのために東京に帰郷。現在は暮らしを模索しつつ、飯綱町への恩返しも考えている。

自然のなかで子育てを

 里山教育を行う幼稚園「大地」に子どもを入園させるために飯綱町に移住する人は多いが、さくらいさんは「働きたい」思いで2007年に移住した。
 「とある雑誌にカエルをくわえた『大地』の子どもの写真が載っていて『こんなところで暮らし、子育てがしたいなあ』と思ったら、男性職員募集と書いてあったんです」
 それまで東京都国立市で子ども向け絵画教室で講師をしながら、学童保育の臨時職員も務めていたさくらいさん。身重の妻を連れて飯綱町に移住し、「大地」では草刈りなどの環境整備を担当した。未経験の仕事は楽しく、絵本を読む時間には絵を描きつつ話を進める機会もあり、充実した日々を送ったという。しかし、エネルギッシュな父兄たちの影響から、次第に「自分の気持ちを形にしたい」と思うようになり、「絵描きになろう」と「大地」を退職。ギャラリーでの作品展やイベント出店をし、町内の版画家・深田明弘さんの紹介により、長野市内の出版社で絵本の出版も果たした。  「長野に来ていろいろなきっかけをもらいました。これが東京だったらチャンスはなかったですね」

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20代半ばまでバンド活動をしていたが諦め、絵本作家を目指すようになったさくらいさん。県内外のクラフト市などにも多数イベント出店した。次第にその場でリクエストをもらって絵を描く活動も展開。来場者に名前を覚えてもらえるようになり、いろいろなつながりに発展したという。

自ら生活を生み出したい

 しかし、2015年には国立市に戻ったさくらいさん。長男が通うフリースクール「みんなの学校」に当時中学部がなかったこと、長女が通う「れんげ子ども園」の園児減少による閉鎖がきっかけだった。
 「公立校ではなく違った育ちの場があったらと思って通っていましたが、別の選択肢として思いついたのが、国立市の小学校から高校まで一貫の無認可校でした。長野が好きだったので、離れるのはなかなか踏ん切りが付きませんでしたね」
 こうして東京に戻ると暮らしは激変。さくらいさんは気持ちが一段落し、絵の仕事はひとまず休業中だ。
 「自然のモチーフが溢れていた長野を離れたこともあるかもしれませんし、長野での生活自体が創作活動の一部でもありました」
 現在は学校の用務員の仕事をしているが、最近は自らの手で生活を生み出す方法を模索中だという。
 「木の皿作りなどが楽しくなってきましたが、生活に必要な衣食住を自分で手作りして暮らしたいです。表現しづらいのですが、ゆくゆくは生活そのものが自己表現になったら面白いと思っています。そしていずれは東京を出て、また長野のような場所で暮らしたいですね」
 同時に、飯綱町には何らかの形で還元したいという。
 「今は絵の仕事を休業していますが、何らか自分の力を飯綱町で生かしていけたらと思っています」

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小さい頃から絵を描くことが好きで、高校から本格的に絵の勉強を始めたさくらいさん。飯綱町では「飯綱町PRキャラクター選定委員会」の委員長を務め、「みつどん」の誕生にも携わった。

PROFILE

東京都出身・在住、1972年生まれ。高校ではデザイン科で美術を勉強。和光大学人文学部芸術学科卒業。バンド活動を経て、国立市で子ども向け絵画教室の講師を務め、2007年飯綱町に移住。「大地」に勤務。2009年退職。2010年『うえんじいさまのき』(オフィスエム)等出版。2015年国立市に帰郷。現在は中学校の用務員を務める。

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