仕事の広がりを生み出せるような
面白い人たちとつながりたいですね。
フィギュアの原型製作やオブジェ製作、立体看板などを手がける「造形屋」の栗原元彰さん。充実した子育て環境を考え、東京から妻の実家がある飯綱町に移住し、仕事では全国各地を飛び回っている。
遊園地の岩や木、キャラクターのオブジェといった、いわゆる「作り物」を製作する栗原元彰さん。場所や用途に応じ、FRP(繊維強化プラスチック)やモルタル、木、鉄など多様な素材を使って、あらゆる造形を作っている。注文は小物から数十メートルを超えるものまでさまざま。顧客も全国に広がる。
千葉県で生まれ育ち、高校時代は仏像彫刻の道を夢見ていた栗原さん。しかし、当時は情報がないうえに高卒ではスタートが遅いといわれていたことから、東京の一般大学に進学。それでも夢をあきらめきれず、造形屋でアルバイトを始めて今に至っている。最初は動物園などの擬岩を製作する工房で働き、もっと多くのものを作りたい思いから、FRPや木工などの立体造形をメインとする東京都町田市の造形屋に就職。そして「体力的にも経験的にも今だ」と感じた28歳の時に町田市で独立した。
「独立してから最初の3年間は技術もなかったので休みは数日だけでしたが、独立したことで、製作時間も含め自分の考えで作れるのは楽しかったですね。それに私は飽き性なので、いろいろなものを製作できるこの仕事は楽しいです」
次第に仕事は軌道に乗り、人気キャラクターや高級ブランドの看板など、大手企業の注文も入るように。だが、結婚して育児をするとなると「自分が生活していた工業地帯のような場所で子育てをしたくない」と考えるようになり、38歳で妻の実家がある飯綱町に移住した。
「昔から出張ばかりなので私の生活はあまり変わりませんが、子どもたちは伸び伸びとしていて楽しそうに通園や通学をしています。それに、お義母さんが子どもの面倒を見てくれるので、東京よりも子育ての環境は充実していますね」
しかし、仕事面では関東圏に比べ、やはり長野は「遠い」というイメージをもたれることもあって、なかなか大変だという。
「今の仕事のフィールドは全国各地です。でも、できるなら長野でも仕事をしたいですし、若い時は忙しいのに儲からず、金銭的にも精神的にもきつかったので、今は楽しく働くようにしています」
だからこそ、町内の面白い人とつながりたいと話す栗原さん。
「私の仕事は町内だけでは成り立たず、もっと広げていかないと仕事は取れません。町でそうやって広がりを生み出せる人とつながっていけると面白いですね」
PROFILE
千葉県出身・飯綱町倉井在住。1971年生まれ。大学卒業後の1994年から造形屋「株式会社鬼工房」で3年間アルバイトし、1997年、日本美術工芸株式会社に就職。テーマパークや店舗、イベント、美術館を中心に立体造形、立体看板、オブジェ、その他を製作。2000年に独立し、栗工房設立。2009年、飯綱町に移住。保育園と小学校に通う2児の父。