トップライター眞鍋 知子さん飯綱町でもっとも顔が広いと噂の、にっしーこと西村啓大さんにネホリハホリ

飯綱町でもっとも顔が広いと噂の、にっしーこと西村啓大さんにネホリハホリ

「この人を知らない人はもぐり、いつも町のどこかで見かける、影武者がいる……」。
西村啓大(あきひろ)さんにはさまざまな逸話があります。どこからともなく現れて、ニコニコと去っていく。かくいう私も、移住して最初に住んだ家を手配してもらい、同じ地区に住んでいたこともあり、家のことはもちろん、仕事からプライベートまで、さまざまな面でお世話になっています。
西村さんの本業は、地元の工務店、株式会社ツチクラ住建の社員。営業リーダーとしてお仕事に勤しむ一方、飯綱町の「公民館報いいづな」の編集長、移住コンシェルジュなどの側面も持っています。いつも、誰かの家のことや暮らしのことをお世話している西村さんですが、ご本人は今年で移住20年。あらためて、移住のいきさつを聞いてみました。

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眞鍋さんとは、今から6年前の高岡活性化委員会からのつきあいですよ。
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そうでした! そのころから西村さんは、同じことを言い続けていますよね。「飯綱町の地元の人は、『こんな何もない田舎に何しに来たの?』と言うけれど、僕からしたら、飯綱町って最高にいいところ。移住してきた人には『ここはいいところでしょう、よく来たね』って言うようにしたらいいのにって。
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自分は、ここが気に入って住んでいるからね。「おすすめだよ」って言いたいじゃないですか。僕は世界遺産で有名な鹿児島県の屋久島で生まれ育ったんだけど、屋久島の景色も暮らしも、自分には当たり前だったんだよね。『屋久島はいいところですよね。なんで帰らないんですか?』って聞かれるけど、『親から帰ってこいと言われなかったからかな』って答えてます。僕が学生の当時は世界遺産でもないし、大人になったら島を出るのが当たり前でした。『こんなところにいてもしょうがない』と言われて育ったら、出てしまうし戻らないでしょう。飯綱町も同じです。ならば、『一度は町を出て見分を広げておいで。でも将来は飯綱町に戻っておいで』と言い続けて育てたらどうなるか。そう思って、息子で実験中なんです(笑)。

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地元の人も、本気で言っているのか、謙遜して言っているのか、というところはありますけどね。
ところで西村さんは移住して20年ということですが、たしか、ツチクラ住建に入社するために移住したんですよね? 2000年代は移住のはしりだったようですが、現在ほどのブームではなかったと思います。経緯を教えてください。
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島を出て東京の大学に行ったんですけど、父方の祖父母がともに教師だったこともあって、卒業したら自分も先生になろうと思った時期もあったんですよ。でも、最終的には住宅会社に就職しました。
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先生を目指していたとは、意外です。
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そう?(笑)。社会人3年で結婚して、結婚4年目のときに、妻が子育てをするなら田舎で暮らしたいと言い始めたんです。どこがいいのか聞いたら、妻の父が飯山市の戸狩出身なので長野県に行きたいと。僕自身も、住宅業界のあれこれを知って悩んでいたときだったし、田舎暮らしもいいなと漠然と考えてはいたんだけど、気づいたら放置したまま1年くらい過ぎてしまって。ついに妻から「本気で考えないなら、私は一人でも行きたい!」とケンカになっちゃったんです(笑)。はっきり覚えてますよ。10月の金曜日の夜でした。ケンカしてコンビニに行って移住就職雑誌をめくったら、社長の顔が出ていて地域密着型と書いてある住宅会社があった。ちょうど次の日に池袋のサンシャインで移住フェアをやると書いてあったので、会社には歯医者に行くと言ってサンシャインへ向かったんですよ。そうしたら、その会社の社長が来ていた。 

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それがツチクラ住建の土倉社長ですね。
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まだ会場を準備しているところに飛び込んで、面談してほしいと直談判したものの予約でいっぱいと断られてしまって。仕方がないので会場を1周回ってもう一回のぞいたら、1番の人が遅刻していて社長が一人でいたので、「今、少しいいですか?」と話す機会をもらいました。
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おー、もし諦めて帰っていたら、今ここに西村さんはいなかったかもしれないのですね。
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そうだねー。そしたら翌月、妻と一緒に牟礼村(当時)まで面接に来てくれと連絡がきたんです。面接時間は午前10時。東京を朝の4時に車で出発して、いざ牟礼村へと向かいました。それが、2年くらい前に坂中トンネルが開通していたので、予定より早く着きすぎてしまったんです。しばらく、よこ亭の駐車場で仮眠して、目覚めたら村を見渡す景色が目の前に広がっていた。「きれいなところだなあ」と思いましたね。

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めでたくツチクラ住建に就職が決まって引っ越してきたのが2003年。最初は右も左もわからない初めてのこと尽くしですね。西村さんにもそんな時代があったんですね。
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外国に行ったとき、日本人同士とばかりいるとちっとも地元の人と触れ合えないじゃないですか。そうなるのは嫌だったので、なるべく移住者とはつるまないようにして、地元に溶け込もうとしました。
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今では、地元とか移住者とか関係なく、たくさんの人に知られているけれど、西村さんも最初は、知り合いなどいない中に飛び込んだわけですよね。それが持ち前の天真爛漫さと、誰とでも分け隔てなく向き合う姿勢によって、「飯綱町暮らし案内人」という肩書きをもらうまでになった。
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「飯綱暮らし案内人」っていう肩書きは、社長が勝手につけてくれたんですけど、僕は、僕がいいと思うことをただやってきただけなんですよね。移住って、移住して来る人も不安だろうけど、受け入れる人ももちろん不安なんですよ。どんな人なんだろうって。
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それはそうですよね。ある意味、迎える側の方が不安かもしれませんよね。
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だから思い切って入っていくようにしたんです。町としてはたくさんの移住者に来てもらって人口を増やしていくのは大事なことだと思いますが、僕は正直、飯綱町が都会みたいになってほしくないと思ってるんです。同じものがほしいなら都会にいけばいいでしょう。
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私も同感です。ないもの探しをすればキリがないですから。あるものをきちんと生かすことも大切です。
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だから、飯綱町が、いいと言ってくれる人に住んでほしい。田舎ならどこでもいい、という人には、正直言って住んでほしくない。歳をとってもこの町に住んでいられるように、生活や暮らしの変化に合わせて、住み替えができたらいいと思っています。たとえば、最初は賃貸やシェアハウスで住んでみて、家族に合わせて広くして、夫婦二人になったら小さな家や、再びシェアハウスに住み替えるとか。ずっと、好きなこの町に住んでいたいですからね。お年寄りが楽しめる暮らしは、子どもにもやさしいと思うんです。
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なぜ移住者が、飯綱町を選んだのかをきちんと聞くことが大切ですね。
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そう。そして僕らは、飯綱町っていいところだ。この町が好きだ、と言い続けることが大切だと思っています。

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私も言い続けますよ! そういえば、西村さんは町のあらゆる道を知っていますよね。
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目的地に行ったら、なるべく同じルートでは帰らないようにしているんです。ネタ探しにもなるしね。営業活動って、営業だけに行くんじゃなくて、そういう回り道がいいと思っています。眞鍋さんは移住して何年になるっけ?
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今年で移住して5年目です。
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協力隊の任期を終えて、自宅も購入して……と思ったら馬(ポニー)を飼って、馬の事業もおこしたんだよね。おもしろいことをやり始めたよね。何かしら協力できたらなと思ってますよ。
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ありがとうございます! コラボとかぜひしたいですね。
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こうやって地域のなかでおもしろいことをやる人が増えていったらいいよね。
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西村さんは、遊友団という仲間たちとロゲイニング*を始めましたよね。
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年齢は皆より上だけど、若いメンバーに交じって楽しかったです。いつも車で動いているから、歩いてみたら自分もまだ知らないところがあったりして。ロゲイニングを町の活性化に生かしたいですね。地域の人も楽しんで巻き込めるようなものに育てていきたいねと話しています。初開催した前回は牟礼エリアだったので、来春には三水エリアで実施する予定です。
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自分が楽しくないと、楽しいよって勧められないですもんね。時代は変わり、何もない田舎こそ豊かであるという価値観になったのだから、旧態依然の考え方から変わらなければいけませんね。
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そう。子どもたちが、自分の町っていいところだな、と思ってくれたらいいなというのが常にあります。町に来てくれた人に「こんなところ」って言うんじゃなくて、「よく来たね。ここはいいところだよ」って言いたいじゃないですか。この町に住む人が、自然とそう言えるようになったらなと思っています。
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発した言葉は現実になると言うし、気づいた人が常に言うようにしていくのがいいですね。
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楽しんでいるところに人は自然と集まるものだからね。移住者はもちろん子どもにも、ここに住む大人が楽しんでいるのを見せるのが一番だと思っています。

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*廃校活用事業をミッションとする地域おこし協力隊に内定後は、閉校する小学校の跡活用を話し合う委員会の会議に出席していた。西村さんも同じ委員会にメンバーとして参加していた。
**ロゲイニング:地図を見ながら制限時間内にチェックポイントをまわり、得点を競う野外のナビゲーションスポーツ。

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