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岩手から飯綱町に流れついたすーさんのこと

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飯綱町には、移住してきた人がたくさんいますよね。
しかし移住者の中でも、“すーさん”のように60歳を過ぎてから飯綱に住み始めた人はめずらしいのではないでしょうか?

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「俺は日雇い人夫だから、アーハッハッハ」とすーさん。


「すーさん」こと鈴木孝明さんは、春から秋にかけては飯綱町内で農業の仕事をして、冬は志賀高原のホテルで働いています。
4月初頭、志賀高原から飯綱に帰ってきたばかりのすーさんは、休む間もなくりんごの剪定作業に取り掛かっていました。

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芋井地区のりんご畑で選定作業。


「本当は田舎に帰る予定だったんだけどさ、『手が足りないから、すーさん早く戻ってきてくれ』って言われたからしょうがないね。毎年4月には帰ってたんだけど、今年は帰れない」

すーさんの田舎は実家のある岩手県一関(いちのせき)。昭和24年、すーさんいわく“べご年(丑年)”に生まれ、60歳を過ぎて飯綱に移住するまで、すーさんはずっと一関に住んでいました。

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すーさんは祖父母、両親、4人兄弟の大家族で育ちました。いつも人が溢れかえるにぎやかな鈴木家には、お父さんの会社の人や地元の人が、しょっちゅう酒盛りに来ていたそうです。
家族も他人が家にいることが当たり前で、家族総出でもてなしていたとか。

ある日、会社のお偉いさんが東京から出張で来たとき、鈴木家に立ち寄って、すーさんのおばあさんの作ったすいとんを食べました。そのすいとんがいたく気に入ったお偉いさんは、出張のたびにホテルではなく鈴木家に泊まるように。浮いた出張費のホテル代は、すいとん代としておばあさんのふところに入るため、

「ばーさんねじり鉢巻で、前の日から小麦粉練って、一晩寝せて、ちゃんと作る。ハッハッハ」
と張り切っていたようです。ウエルカムな雰囲気、賑やかな家族、当時でもめずらしい立派な五右衛門風呂があったりと、よっぽど居心地のいい家だったんでしょう。
高校を卒業後、実家の農家で働いたり、役場に勤めたすーさんは、22歳のときNECに就職します。一時は150人もの部下を抱えたりと、バリバリの昭和の企業戦士でしたが、45歳のとき兵庫県NECへの転勤命令が出て、あっさり仕事を辞めてしまいます。

「親父もあんまり体丈夫じゃねーし、『やめるわ』って言ってやめた。だってしゃーねんだもん、親父動けなくなってくるし。またもう一回百姓に戻って」

しかしNECといえば一流企業です。お給料もかなりよかったのではないでしょうか?
「給料はよかったっすよお。農家になったら全然、もう何十分のーって感じだよな。まあ食っていけたから、まあまあね」

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専業農家になったすーさんは、家族ぐるみで農家の仕事をしながら、ご両親とお子さんと暮らしていました。

息子さんは特に農家をよく手伝ったようで、
「息子が『今日稲刈りするぞ』って言われたんだって、俺の親父に。『わかった』って言って小学校行ったんだって。息子が『先生、うち今日稲刈りで、手伝うので早退します』って言うから『まさか今時そんなやついるか』って先生思って、電話よこしたって、うちに。親父は『稲刈りだとは言ったけど手伝えって言ってない』って言ったんだけど、先生が『まあせっかくやる気になってるんだから、手伝わせてください』って学校から返したんだって。先生も先生だ。笑っちゃう」

おそらく1990年代初頭の話。息子さんは現在も兼業農家として、岩手のすーさん家の畑を守っているそうです。

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軽トラからはAMラジオの昭和歌謡特集。「東京ドドンパ娘」がりんご畑にひびき渡ります。「これ一発で終わった歌手。ドドンパって来て、ドドンパっとやって、ドドンパっと消えたんだ」とすーさん。


ときには農業だけでは暮らしが成り立たないこともあり「俺は仕事を選ばない」と、すーさんは、いろんな仕事についたと話します。あるとき長野の白馬に土木関係の仕事で来て以来、長野がとっても気に入ったそうです。

「真夏の白馬に行ってさ、最高。朝ビール買ってって、川につけておくと帰りにはちょうど冷えているという。アーハッハッハ」

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芋川の畑。岩手にもこんな風景があるんでしょうか


 岩手と気候が似ていること、特産物が似ていることに親しみを覚えたすーさんですが、たまたま飯綱町袖之山地区の農家さんと知り合っことが縁で、
「それから長野に来ることにしちゃったんだよな」

すでにお子さんたちは独立していること、岩手ではりんごの値段が下がってきてしまったこともあり、すーさんは長野に移住することを決めます。それが10年ほど前のこと。
働き者のすーさんは、それからずっと長野で、りんご畑や稲作などいつも仕事をしています。

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剪定作業は明日も続くようです。


昼は農作業に忙しいすーさんの楽しみは、飲みに出かけること。今日は飯綱町の役場近くにある居酒屋「未花」へやってきました。
この10年間で今では閉店してしまった店も含め、飯綱町にある飲み屋さんは、すべて行き尽くしたのだとか。そして出張や旅行に行ったら、必ずその土地の飲み屋さんに入ります。
新しいお店に入るときも「おう来たよ」と常連のごとく入っていけば、すぐに馴染むんだとか。
そしてNECのときに上司から教わったテクニック、「地元の酒を飲む」を使えば、もう攻略は完璧です。
小さいときから、いろんな人が集まる空間に慣れているすーさんだからこそできるワザですね。

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それでも地元を離れてさみしくはないのでしょうか。
「ぜんぜん。一人の方が気楽でいいよ。あと何年できるかわかんないけどな。体が利かなくなったら田舎に帰る。ヨレヨレになったら(今は息子が住んでるすーさんの家に)転がり込んでやろうと思ってる。アーハッハッハ」

「まあ、なんとかなるだろう」

すーさんが何かを決めるとき、こう思うそうです。ずっと長年住んだ岩手から、ゆかりもない長野に移住しようなんて、他人からしたら大きな決断に見えます。でも、すーさんの陽気さや、からっとした性格、周りの人との関わりあいの上手さも手伝って、すーさんはとってもかろやかに、飯綱町に来ることを決めたのだろう、と今回お話を聞かせてもらって感じました。

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