初めて土倉武幸さんとお会いしたのは、「りんごジュースが出てくる蛇口」の取材でした。
挨拶をすると、「ええと、どちらの立場で話をすればいいかな」と前置きがあり、いただいた名刺は2枚。地元の工務店である株式会社ツチクラ住建と、同じく地元のまちづくり会社、株式会社カンマッセいいづなのもので、どちらも代表取締役とあります。お話をうかがっていると、蛇口を設計した話から、りんごジュースの話、飯綱町の総合計画の話と、さまざまな話題が出てくる出てくる。どうやら、ただ者ではなさそうな雰囲気が(笑)。「家をつくる工務店とまちづくり」という二つの顔を持つ土倉社長という人物に興味がわき、もう一度、会いに行ってきました。

土倉武幸(つちくらたけゆき)さんは長野県飯綱町(旧牟礼村)出身。父は大工で、弟子をとりながら事業規模を拡大し、土倉さんが10歳のときに株式会社ツチクラ住建を設立しました。幼いころから、経営者として働く父の姿を間近で見て育ったそうです。
ご自身はどちらかというと文系だったといいますが、「将来は建築の技術者になってほしい」という父の希望で、大学では建築を学びます。その後、関東の設計事務所に就職し、鉄骨造や鉄筋コンクリート造の建物の設計に携わりました。さらに、父から「絶対に取るべきだ」と言われていた一級建築士と宅地建物取引士の資格を取得したのちに、地元へ帰りツチクラ住建へ入社しました。設計事務所では鉄骨造や鉄筋コンクリート造の建物を扱っていましたが、ツチクラ住建の主力事業は木造住宅であることから、先輩について一から木造について学んだそうです。そして図面作成はもちろん、施工管理などさまざまな業務を経験し、36歳のときに社長に就任し現在に至ります。

ツチクラ住建
——ツチクラ住建の事業内容を教えてください
はい。メインの事業は新築住宅の設計施工です。でも実は昔から、全体の売上に占める新築の比率は半分を超えたことがないんですよ。現状で三分の一程度ですね。ほかにはリフォーム、増改築、補修、それから一棟貸の「山荘ゆきつばき」という宿泊施設の運営も行っています。
“会社から車で30分以上かかるところの仕事はしない”というのを原則としているんですよ。もちろんときには、少し遠いところのお客さまを担当することもありますが、あまり遠い場所だと、何かあったときにすぐに現地へ行けないじゃないですか。だからあえて施工範囲を狭めて、困ったときにすぐ来てくれるという会社であることに重きを置いています。そのほうがお客さまの満足度が上がるのではないかと思っています。
——地域密着ということですね。
地域のお客さんのために仕事をするのは、工務店であれば一般的なことです。そこからさらに、地域活性化に貢献することも地元企業の役目だと思っています。では、工務店ができることは何かというと、人が住んでもらえるようにすることですよね。
そんな思いで取り組んだ例を紹介すると、ツチクラ住建がある北川地区は小さな集落で、家は25軒くらいしかないんですよ。でも空き家が出てしまっていた。それをまず、うちが大家さんから借り上げて、老朽化したところに手を入れて賃貸に出す。もしくは空き家を買い取って全面的にリフォームを施し売却。そうすると時を経ず入居者が決まるんです。こうしたことで一昨年から今年にかけて、何もしなければ空き家だったところに新しい人が入り、世帯が3軒増えたんです。地域の人口を増やすきっかけになるなら何でもやろうと思っています。正直、 “地域密着工務店”の枠はちょっと超えているかもしれませんが。
落ち着いた雰囲気のエントランススペース
——空き家の大家さんにとっても、住みたい人にとっても、ツチクラ住建にとってもいいことですね。ひいては、町にとってもありがたい。閉校した小学校の跡活用の運営のために民間企業として設立された、株式会社カンマッセいいづなの社長になられたのも、同じ気持ちからですか?
現在のいいづなコネクトWEST(旧牟礼西小学校)は、私の母校なんです。私が小学6年生のときに校舎が新しくなって、卒業までの1年間をこの校舎で学んだので、とても愛着があります。なので、何らかの形で関わりたいとは思っていました。とはいえ、跡活用で複合施設にするから運営する会社の社長に、という依頼には、正直、首を縦に振ることはできませんでした。こんな一筋縄ではいかないとわかっている会社を引き受けるなんて無理だと、お断りしたんですよ。でも、まあ紆余曲折あって任されるに至り、今年で7年目となります。
カンマッセいいづなの、“カンマッセ”って何か? とよく聞かれるのですが、北信地方の方言の“かんます(=かき混ぜる)”からきています。古きと新しきを、地元民と移住者を含めたあらゆる価値観をかき混ぜて、新しい価値を生んでいこう、ともに私たちのまちを育てていこう、そんな思いを込めてつけた社名です。
主な事業は、元小学校が複合施設になったところを、また人が集まる場所にすべく日々奮闘しているほか、ふるさと納税事務局の仕事を受託して、民間企業として飯綱町の活性化に寄与できるように、尽力しています。働いているのは、地元の人も移住してきた人もいて、まさにカンマッセな会社です。
——ほかにも取り組んでいることはありますか?
スイスのリンツチョコレートってあるでしょう。その日本法人で社長を務めていたアンドレ・ツィメルマンさんという方の会社と飯綱町が、包括連携協定を結ぶことをきっかけにつくられた飯綱町国際交流協議会というのがあって、私は名ばかりですが会長を仰せつかっております。飯綱町の産物がスイスに、スイスのものが日本、飯綱町にといった交流につながれば最高ですが、私はスイスの国民性や教育にも興味があって、そういう分野で飯綱町がスイスに学ことができたら、独自の世界観になっておもしろいんじゃないかなと、そんな違う角度でとらえているんですよ。
——具体的にはどんなイメージがあるんですか?
飯綱町の隣の小布施町の話なんですけど、「おぶせオープンガーデン」という取り組みがあります。入っていい庭には看板があって、誰でも自由に出入りしていい。二十年以上前くらいに、小布施町の住民の女性から聞いたのは、町がお金を出してくれて、フランスへガーデニングの勉強をしに行かせてくれたと。それでその女性は、町には恩があるから、何かしらでお返しできたらと、自宅の庭を開放して、それがオープンガーデンにつながったというんだよね。
だから、同じカネを使うなら、人に対してカネをかけるっていいことだなと考えているんです。スイスとのつながりができたのだから、飯綱町の子どもをスイスへ連れていって、学ばせてみてはどうだろう。スイスの国民性は、自分たちの国は自分たちで守るという精神が根付いていたり、職人が大事にされていたりというのも聞きます。あと教育の部分では、全寮制の学校があって、ヨーロッパ中から子どもたちが集まり、卒業すると世界中に散っていって、卒業生たちがネットワーク組んで世界を動かすような仕事していたりするということも興味深いですよね。
土倉さんが関わった企画は、ほかにも、
・1994年いいづなリゾートスキー場で開催された『ミュージックキャンプ’94』
・2006年から5年間開催された「霊仙寺湖薪能」
・飯綱町観光協会の運営
などなど挙げたらキリがありません……。
とはいえ、飯綱町を盛り上げたいという思いは、どこからくるのでしょうか?その思いの原点には、父の言葉があったと言います。

誕生記念に庭に植えたというバナナの木の前で父と
開発が進んだ霊仙寺湖のほとりで、父が小学生だった私に、「これからこの辺りは、もっともっと良くなる」と語ったんですよ。その言葉が心にずっと残っていました。でも、大学を卒業して地元に戻ってきてしばらくすると、バブル崩壊の影響もあり、どんどん別荘地の価値が下がっていってしまった。朽ち果てた別荘や、別荘地が荒れて藪の中になっている状況を見たら、「親父が夢見ていたのと違う形になっちゃったな」と、ちょっと悔しくてね。これは俺がなんとかしなきゃいけないな、っていう思いでやってきています。自分たちの取り組みで、少しでも飯綱町がプラスの方にいけば、と思っています。

あちこちで、飯綱町は活気があると聞こえてきますが、それは土倉さんのように地域への誇りと貢献意識を持つ地元の皆さんや、地域の魅力に惹かれて移住してきた方々、新しいチャレンジに取り組む若者たちが協力し合えているからこその成果なのでしょう。土倉社長が地元に密着したふたつの会社で代表取締役を務める理由を垣間見た気がします。飯綱町への思いは、そのまま先代の父への誓いなのだと感じました。
*シビックプライド
都市や地域に対する住民の「誇り」や「愛着」を指し、自らの住むまちをより良くするために能動的に関わろうとする「当事者意識」や「自負心」のこと。単なる郷土愛にとどまらず、地域課題の解決や魅力向上に主体的に参加する姿勢が特徴であり、都市の持続的な発展や活性化の原動力となる概念。