
県内の新築住宅の引渡しにて。中央が小松さん(写真/西優紀美さん)
今年7月、「いいづな歴史ふれあい館」がリニューアルオープンしました。
その工事の設計を担ったのは、地元出身の建築家、小松剛之さん。現在は町内で設計事務所「コプレイスアーキテクツ」を運営し、地域に根ざした設計・建築に取り組んでいます。
東京で10年にわたり、公共建築の建築設計に関わったのち、2022年に故郷へUターン。都市での経験を携え、なぜ今、地元で建築に向き合うのか。
その歩みと想いを伺いました。
建築を志したきっかけは、中学生の頃。同級生の自宅が、お父さんの手によって建てられた家だったことを知った時の衝撃が出発点でした。
「絵を描いたり工作をしたりするのはもともと好きでしたが、自分の家を作るというスケールの大きさにびっくりしたんです。そこから、まちの建物に自然と目が向くようになって。建築は、正解がないけれど、どこまでも探求できる世界なんだと感じて、面白いと思ったんです」
その思いに突き動かされ、工業高校の建築科へ進学。続いて群馬県の前橋工科大学、さらに大学院へと進み、建築家の道を一歩一歩突き詰めていきました。
大学の研究室では、建築だけでなくプロダクトやまちづくりなど多様なデザイン領域を専門とする教授のもとで学び、「用途を問わず、社会のニーズに応えるデザイナーとしての在り方」に大きく影響を受けたといいます。

アトリエの壁に描かれた日常をオフにするスイッチ(写真/西優紀美さん)
2012年からは東京のアトリエ系設計事務所に勤務。美術館や公民館、大学、病院などの公共建築を担当し、全国各地の建築プロジェクトに携わりました。
激務の中でも30歳で一級建築士の資格を取得。そして、独立へ気持ちが動く大きな転機が、宮城県気仙沼市での震災復興プロジェクトでした。
「震災から10年を迎えたタイミングで、公民館の設計を担当することになりました。地元の方々とワークショップを重ねる中で、皆さんが口々に言っていたのが、『ようやく公民館を建てられる時期がきた』ということ。かつての風景が失われた被災地で、暮らしを取り戻す過程に立ち会いながら、あらためて故郷があることの意味の大きさを感じました」
大学院時代には、東日本大震災後の建築のあり方について研究していたものの、当時は被災地に足を運ぶことができなかったという小松さん。復興10年目の節目に少しでも仕事を通じて復興の手伝いができたことで、自分が救われた思いだったと話します。
「建築と暮らしが密接に関わっていることを、気仙沼であらためて実感しました。そして、被災地の方々が自分の居場所を見つけていく姿に勇気をもらい、僕も独立へ背中を押してもらいました。事務所名にプレイスという言葉が入っていますが暮らしの居場所をつくることが建築の原点だなと気仙沼での経験を踏まえて名付けています」

飛行機をモチーフにしたアトリエの入り口(写真/西優紀美さん)
2022年4月、まずは長野市で独立し、建築家としての新たな一歩を踏み出しました。さらに2024年には飯綱町で法人化。ふるさとで設計に取り組む覚悟を決めました。
しかし、地元に戻って直面したのは、それまでに積み上げてきた実績が、自治体の入札条件では評価対象とされないという現実でした。
「前の会社では、公共建築の設計をいくつも担当していましたが、当然ながら独立後はそれが自分の実績としては認められないことが多い。入札の土俵にすら立てないというのは、チャレンジができないという点でやっぱり悔しかったですね」
行き詰まりを感じる中で、最初に声をかけてくれたのは地元の工務店でした。
「いいづなコネクトEAST内のカフェ」の内装設計を皮切りに、長野市内の店舗改修や軽井沢の新築住宅など、小松さんは一つひとつ丁寧に、新たな実績を積み上げていきます。
町内事例:泉が丘喫茶室(写真/中嶋真也さん)
こうした積み重ねが実を結び、「いいづな歴史ふれあい館」展示リニューアル工事の基本設計入札に参加する機会が巡ってきました。
「大手組織事務所が並ぶ中で、さまざまなご縁もあり基本設計を任されることになりました。定められた入札ルールの中で地元出身者である事務所を土俵に上げてくれた当時の役場担当者に感謝しています」
と、小松さんは話します。
実施設計と展示工事はセットで、公募型プロポーザル。小松さんは町の歴史をあらためて学び直すため、何度も歴史ふれあい館に足を運びました。そして、大学の先輩が働いている東京の展示計画が得意な内装会社、地元の工務店とともに3社でジョイントベンチャーを組み、プロポーザルでは最優秀賞に選ばれました。
歴史ふれあい館にて。大雪の中、東京チームが飯綱に
小松さんが大切にしているのは、地元と外の力を組み合わせること。東京での経験や人脈を生かしながら、地域に新しい風を届けることを目指しています。
「歴史ふれあい館は、展示物をしまっておく場所ではなく、できるだけ人が集まる開かれた場所にしたいと思っていました。敷居を低くして、町の文化に触れられるきっかけになればと。おじいちゃんが孫と一緒に来てくれたり、ご近所さんがふらっと立ち寄っておしゃべりしたり、そんな日常のなかにある居場所にしたかったんです」
特にこだわったのは、子どもたちの視点。展示物の壺を上から覗き込める展示ケースでは、既存展示台を通路に転換するなど、子どもたちが興味を引く細やかな工夫を凝らしました。
歴史ふれあい館 子どもたちの視点 表(写真/西優紀美さん)
歴史ふれあい館 子どもたちの視点 裏
現在、小松さんの事務所は「パカーンコーヒースタンド」の2階にあります。飛行機をモチーフにしたドアから入る、ユニークで遊び心のある空間です。
「打ち合わせの時間や発想の時間をもっとクリエイティブなものにしたくて。日常のスイッチを一度オフにして、アイデアに集中できるような世界にお施主さんと一緒に入っていく。そんな時間の共有を大切にしたいんです」

町内事例:パカーンコーヒースタンドオープンの日(写真/小林直博さん)
東京で働いていた頃は、完成した建築がその後どう使われているかを見る機会はほとんどありませんでした。しかし、飯綱町で設計に関わることで、建築がその後どう根づいていくかを見守ることができます。
「地元で建物に関わっていると、それが暮らしの中で自然と目に入ってくるんです。ふと通りがかったときに『あ、ちゃんと使われてるな』って感じる瞬間がある。逆に、『もっとこうすれば良かったかも』と振り返ることもできる。そうやって手がけた建築と長く付き合っていけるのは、暮らしと建築の狭間で仕事をする地方ならではの魅力ですね」
設計して終わりではなく、その後の使われ方を見届けられる距離感。それこそが、地域に根ざして働くローカルアーキテクトならではの醍醐味だと小松さんは語ります。
最近では、住宅会社を辞め林業の道に進んだ20代の若者と一緒に仕事をする機会もあるそうです。世代を超えた連携が、お互いのアイデンティティを刺激して地元でものづくりをするのに欠かせない要素です。
「下の世代で、これから自分の手で仕事を始めようとしている人と関われるのはうれしいですね。世代がつながっている感じがして、すごくいいなと思います」
来年には、町内に自身の事務所で設計した自宅を新築する予定だという小松さん。今後は北信エリア全体へと活動の場を広げていく考えです。

「建築模型を作っていると、自分でも気づいていなかったことにハッとする瞬間があるんです。素材に触れて、手を動かしているうちに、予想していなかったアイデアが浮かんだり、設計の視点が変わってきたりする。そういう気づきを大事にしたいんですよね」
だからこそ、小松さんはお施主さんと丁寧に対話しながら、潜在的なニーズや、言葉のその先にある本質を引き出そうとしています。

町内事例:現在工事中の町内の新築現場
「お施主さんには、僕にできることを引き出してもらって、うまく使ってもらいたい。それを自分でマネジメントしていくのが、とても面白いんです。自分の事務所だからこそ、それが自由にできるし、大きなやりがいにもなっています」
地方で建築を手がけるということは、自然と一人の建築家が担う役割も広くなります。でも小松さんにとって、それは決して制約ではなく、むしろ建築家としての理想的な働き方でした。目指すのは、関わる領域を少しずつ広げながら、活動の幅や職能そのものを育てていくこと。
「小さな町だからこそできることって、実はとても多いんです。人材が限られている分、一人で何でも屋のように働く柔軟さが求められます。そこでは、スキルはもちろん、総合的な対応力も試されます。だから僕は、お施主さんが話す言葉や社会の変化に寄り添いながら、一緒に作り上げていく建築家でありたいと思っています」
地元を知り、外の世界も知る。
その両方の視点をもつ小松さんの存在は、まちに確かな変化と可能性をもたらしています。
▶小松剛之さんの移住者インタビュー もご覧ください。