自然に囲まれながら市街地や駅にほどよく近く、ちょうどいい距離感のご近所付き合いも残る住宅地・飯綱町福井団地。その一角に立つ住宅の開け放った窓から、トンカントンとリズミカルな木づちの音が聞こえてきます。ここが「山のめ組」の屋号で活動する彫刻家、古川葉子さんのアトリエ。取材前に「アトリエなんて呼べないような場所ですよ(笑)」とおっしゃっていましたが、なるほど、木の枝やツタ、ワラから工具、マムシの焼酎漬けまでが雑多に並ぶ、なかなかワイルドな空間です。
アップルミュージアムの企画展にも出展した作品「生きるふくらみ」
古川さんは横浜市出身。多摩美術大学で木彫を専攻し、卒業後は横浜でアトリエを借りて制作を続けながら、障害者福祉施設で美術講師として働いていました。しかし、その頃の古川さんには漠然とした満たされない感覚があったそうです。違和感に突き動かされるように、2013年、古川さんは群馬県中之条町で行われる「中之条ビエンナーレ」に出展。次の開催年である2015年には、中之条町の山間の集落である六合(くに)地区に滞在し、作品をつくり上げました。
「六合には4か月間滞在し、制作していました。そのほとんどの時間は、朝から夕方まで、地元の方に譲ってもらった松の木をひたすら彫っていました。木の中のエネルギーを感じながら彫り出す感覚です」
そして、ビエンナーレの展示場である古民家のバルコニーに立ったとき、身体を一瞬取り囲んで吹き抜けていった心地いい風に、古川さんは魅了されます。
「このバルコニーの空間が大切すぎて、そこにどんな作品を生み出すことができるのだろうというのがずっと悩みでした。でも彫っていくうち、その空間で過ごすうち、『この滞在制作の素晴らしい日々は、ここ六合地区の山の恵みに包まれた日々だった!』ということに気が付きました。そこで最後の1週間、山の恵みを集めながら、人が寝転んで六合の山の恵みに包まれる作品をつくりました」
中之条ビエンナーレで展示した、思い出深い作品
それまで木彫が中心だった古川さんでしたが、初めて「編む」作品に挑戦。山に包まれる感覚を呼び起こそうと、周辺の山で探した素材でハンモックのようなベッドをつくり、来場者が寝そべることができるようにしました。
「六合に滞在していた4か月間、山からいろんな恵みをもらいました。今までの作品は木を彫って量を減らしていく行程だったのが、今度は編んだり綯(な)ったりして増やしていく『増殖』になりました。山から頂いたものを巻き込んで、増やして広げていくんです。手を動かしながら、今、私、生きているんだなぁって実感がすごくリアルにありました」
縄の綯い方やワラの扱い方は、地元の山で暮らすおじいちゃん、おばあちゃんに習いました。山の食べられる実を教えてもらい、お礼にその実でジャムをつくって差し上げるような、山の恵みを分かち合う生活。それはとても愛おしい、山里の集落の姿でした。「そうやって毎日を過ごしていると、今までとは違う、生きている実感があって。幸せだなぁっていつも思っていました」
ビエンナーレを終えて横浜に帰ってからの数か月間は、自分がどうやってここで暮らしていたのか分からなくなったり、物足りなさを感じたり、虚無感のようなものを感じていたという古川さん。そんなとき、今まで借りていたアトリエのオーナーから、ほかの用途で使いたいから立ち退いてほしいという連絡を受けました。
「とても好きなアトリエだったのでショックでした。だけど、ここでなくてもいいなら、どこにでも行ける! どこにいる自分が好きか、どこで生きたいかと自分に問うたとき、一瞬で『六合!』とハッキリと感じたんです」
ちょうどそのとき、テレビで地域おこし協力隊のことを知りました。「いいなぁ、中之条で募集ないかな」と検索してみると、まさに自分が魅了された六合地区で募集がありました。すぐに電話をし、面接のため現地へ。採用が決まりました。
「ビエンナーレからはじまって、アトリエのこと、協力隊のことなど、気持ちよく群馬へ行ける条件がすべて揃ったんです。まるで巨大なマグネットで六合に引き寄せられているような、不思議な感覚でした」
募集していた協力隊活動の内容は、「六合の自然や文化を再発見し、ブラッシュアップして発信する」というもの。古川さんはこれを、「この地のいろんな人や自然、文化を巻き込んで、ぐるぐる一緒になって、みんなでバターになっちゃうみたいな(笑)」と解釈しました。山の木からメンパ(ワッパ)やこね鉢をつくり、稲刈りで出るワラでコモや草履を編み、木の実や野生の果物で果実酒をつくり、それを地域も世代も超えたたくさんの人に発信。そんな古川さんの活動の根底にはいつも、「山からいただいたもので生活を豊かにする楽しみを共有したい」という思いがありました。
リンゴの木から彫り出したカトラリーやプレートと、山の植物を編んだかご。リンゴの枝のハンガーはワークショップを開いたときのもの
3年間の活動期間中に結婚。2020年に息子のかずくんが生まれたことをきっかけに、旦那さんの出身地である長野県への引っ越しを決めました。「実家のある長野市近くで、山の恵みがもらえるところ」という条件で探し、夫婦は飯綱町を見つけました。
「山が近くて景色がよくて、お店も近くてほどよく便利。さらに、りんご学校運営の地域おこし協力隊を募集しており、実家がリンゴ農家の夫が「やってみたい」ということで、ここに決めました」
息子のかずくんと。普段から古川さんの仕事を見ているので、「トントン」と木づちの真似をすることも
飯綱町に引っ越し、初めての子育てに夢中で取り組んでいた古川さん。
「最初で最後の子育てかもしれないから、自分たちでやれるだけ、できるだけ子育てしたい。でも、『かずくんママ』や『飯森さん(戸籍上の名字)の奥さん』と呼ばれることが増えて、いつからか自分が透明になって、『古川葉子』としてのアイデンティティが揺らぐような感覚になっていたんです」
そんなとき、飯綱町ワークセンターで「小商い講座」が開催されることを知りました。これは、自分の好きなことや得意なことを活かして小さなビジネスを始めようという内容の講座です。
「『自分の好きを仕事にする』というフレーズに光を感じて参加してみました。そのなかで、自分が今までやってきたことの棚卸しをしてみようというワークがあったんです。今までしてきたことを改めてたどったら、『ああそうか、私は手を動かして作品を生み出していたんだ。私は彫刻が好きだったんだ』って思い出しました」
子育て支援施設1階の託児室に子どもを預け、2階ワークセンター内にある無料で利用できる個室「創作室」でリンゴの木の離乳食ボウルをつくる
講座の最後に、「3年後に胸を張って『私は彫刻家です』と言えるようにする」と宣言した古川さん。新たな作品に取り組みはじめ、さらには離乳食スプーンやボウルなど、自分の子育て経験を活かしたカトラリー作品もつくるようになりました。
クラフト市に参加したり、三水地区のパンと惣菜のお店「れうりや」さんに作品をおいてもらうなどしているうちに、「木や枝、ツタ、ワラで何かをつくる人」として知られるようにもなりました。この秋には、小学校の先生から声がかかり、ワラ仕事の講師として学校に招かれました。また、りんご学校で剪定したリンゴの徒長枝(上に向かって長く伸びる枝)を活用できないかと、新たな作品として箸づくりもはじめました。
「地域と関わって行きたいという思いが、いつも私の中にあるので、いろんなところから声をかけていただけてうれしかったです。山の恵みを受けながらつくれるものがいっぱいあって、私のやりたいことがどんどん広がっているのを感じます」
情熱に突き動かされるように、その瞬間を夢中に生きる古川さん。たくさんの人と山の恵みを大切に丁寧に巻き込みながら、これから先も、誰も見たことのないような「古川葉子」独自の世界感を編み続けていくことでしょう。