飯縄山の裾野、標高900mの高原に広がる飯綱町上村は、トウモロコシやキャベツ、セロリなど高原野菜の産地。シーズン中には軽トラや耕運機が農道を行き交い、安くて新鮮な野菜を楽しみにした人たちは直売所を目指します。
いいづなリゾートスキー場と天狗の館を結ぶメイン道路から少し離れた畑に、シーズンを終えたトウモロコシのマルチを手際よく丸めて片付ける人の姿がありました。東高原在住の大川紀元(としもと)さんです。今年で88歳を迎えたとのことですが、そのテキパキとした身のこなしや、早足で畑を横切る姿を見ていると、にわかにはその年齢が信じられません。
スポーツブランドのウェアが大好きという大川さん。とくにミズノがお気に入り。「オシャレですねってよく言われるけど、オシャレじゃなくてセンスがいいだけ」
「よく、『大川さん、ダンデーだね』って言われるよ(笑)。この歳で腰ひとつ痛くないし、薬も飲んでいない。健康診断で病院へ行くとき、『お薬手帳を持ってきてね』と言われるけど、薬を飲んでいないので、そもそも持ってないんだよ」
現在は健康体な大川さんですが、4年前、深夜に階段から落ちて頚椎骨折の大怪我を負いました。医者には「歩けなくなることも覚悟してください」と言われましたが、大川さんはひたすらリハビリに打ち込み、驚異的な回復を遂げたそうです。若い頃から「挑戦すること」を何より大切にしてきたからこそ、怪我によってさらに強い体を得ることができたのかもしれません。
標高900mで栽培する花豆は、驚くほどの大きさ! 町内の直売所(四季彩、むーちゃん)で購入可能
大川さんは、昭和9年10月に信濃町で生まれ、20代で飯綱町へ。奥さんは美容院を営み、大川さんは長野市の会社へ勤めていました。
「スポーツは何をするのも好きだったな。でもいちばんは野球だね。20代のころに野球を始めたら、チームプレーで勝負するのがおもしろくってね。挑戦するのが好きなもんだから、昭和47年に早起き野球チーム『オール牟礼』をつくった。そこで初代監督をやったんだよ」
野球チームは続けながら、定年退職の5年ほど前からは信濃町に2反歩の畑を借り、家庭菜園も始めた大川さん。60才を迎え、今度はゲートボールに誘われたそう。
「おれは『ゲートボールなんてやらねぇ』って言ってたけど、友人がユニフォームとスティックを持って家まで来たんだよ。ならやってみるかってことになって参加したら、こんなおもしろいスポーツはないってくらいハマって(笑)」
夢中になると突き詰めずにはいられない性格の大川さん。「おれは凝るね。好きなものにハマる」と言う通り、ゲートボールをプレーしながら資格にも挑戦。3級から始まり、最終的にはゲートボールライセンスの最高峰である、指導員や審判の資格まで取得しました。
「ゲートボールは、5人いなくちゃできないスポーツ。ひとりだけ上手にプレーできても勝てないんだ。野球と同じで、大切なのはチームプレーなんだよ。それがゲートボールのおもしろいところだね」
大川さんの所属するチームの名前は「チーム霊仙寺湖」。長野県の予選大会で3回連続優勝し、県代表として全国大会でプレーしたこともある強豪です。また、お孫さんが小学校3年生のときにジュニア大会を企画して、子どもたちにゲートボール指導をしたりもしました。
町民会館のゲートボール場で練習する大川さん。夏は畑仕事が忙しくてなかなか参加できないが、秋から冬にかけては週1〜2回プレーを楽しむ。
牟礼駅前から東高原に引っ越してきたのは、2000年ごろ。奥さんとふたり、山でのんびり暮らそうと、娘でぬいぐるみ作家のneneさんの家の隣に小さな家を建てました。
「上村の5反歩の畑が売りに出ていたから、信濃町の畑は引き払って、そこで野菜をやることにしたんだ。石ころがいっぱいでね、最初は大変だった。あと、暗渠があって、畑の真ん中をいつも水が流れているのも困ったもんでね」
当時から今まで、約100m×50mの畑を、大川さんはクワ1本で耕してきました。本人は、「クワでやってるから、ここにコレを植えるとよく育つっていうのがわかるんだ」と、なんでもないことのように話しますが、娘のneneさんは感心したようにこう言います。
「お父さんは、機械は一切使わずにクワ1本で耕して、糸で印を付けてまっすぐ筋を引いて、きれいに床造りするのよ。トウモロコシは毎年4000本くらい植えているんだけど、それも横芽を全部手でとって、きれいに草取りまでしてるの。畑のレイアウトも、連作障害が出ないように気をつけながら、全部お父さんがやってるし、本当にマメだなって思うよ」
野菜を栽培するにあたって、ゲートボールを通してできた仲間から学ぶことも。
「ゲートボールで知り合った人に行者ニンニクの苗をもらってね。聞けば、栄村じゃ畑に行者ニンニクを植えているらしくて、それならやってみようと植えてみたんだ。そうしたら、立派なのが生ってね。湿気っ地だったのも良かったみたい」
畑でとくに水分が多い場所は、neneさんの花畑になった。ドライフラワーにして、リースや材として販売する。
13年前に奥さんが他界されてから、食事以外の身の回りのことはすべてひとりで行ってきた大川さん。4年前、夜中にトイレに行こうと階段を降りようとしたときに転落。目と鼻の先にある携帯電話の置かれたテーブルに、2時間かけてやっとたどり着きました。
すぐに救急搬送され、頚椎骨折と診断されました。2回の手術を経て、リハビリが開始。「早くうちに帰りたい」その一心で、大川さんの新たな挑戦が始まりました。
neneさんが当時を振り返ります。
「握力がなくなったというので、手の筋肉を付けられるようにクルミを持っていったの。そうしたら、クルミの表面がツヤツヤになるくらいまで手で握
る練習をしていてね。すごいなって思ったよ。42日間入院して、それからリハビリのためにほかの病院に入院を……ということになったんだけど、家に帰りたいから自分でリハビリするって言い張って」
エアロバイク、テレビ体操、玄関先でのゲートボールの素振り1000回、テレビを観ながらのハンドグリップなど、毎朝の運動が日課。
大川さんは有言実行の人でした。毎日、長い時間をリハビリに費やし、筋力を少しずつ取り戻しました。すっかり良くなったように見える現在も、「人差し指がしびれてるし、畑仕事した後は足も疲れるから(neneさんによると、「あれだけ畑仕事したら疲れるのが普通だよ」とのことでしたが)、まだリハビリ最中だよ」と、毎朝20〜30分のエアロバイクとテレビ体操、そしてゲートボールの素振り1000回は欠かしません。また、大好きな韓国ドラマを観るときもハンドグリップで握力を鍛えているそうです。
「百姓をやって、毎日自然の空気を吸って、それから、歩ける。幸せだなって思うね。これからは、そうだな、元気なうちはできる限り畑をやりたいね。ゲートボールも、もう勝ち負けにこだわらなくてもいいから、楽しんで続けたいね」