春になると、いいづなリゾートスキー場に隣接する湿地に群生するミズバショウ。純白の苞に心を癒されながらも、訪れるたびに気になっていたことがあります。
ミズバショウ群生地の水の色、「赤く」見えるところがありませんか? 群生地を流れる川(伊勢川)は「ソブ川」ともいわれており、この川の水を農業に用いてきた中宿区には、赤い水をなんとかしようと、住民が知恵を絞ってきた歴史があります。そして今も「いい水」にこだわり続ける、町の水道水についても聞きました。
まずは、飯綱町の歴史や風土、文化のことがわかる「いいづな歴史ふれあい館」へ。館長の富樫均さんは地質学が専門で、ミズバショウ群生地の水がなぜ赤く見えるのかを教えてくれました。
「飯縄山を源にする一部の川には、『鉄鉱泉』から湧く多量の鉄分を含む水が流れています。この水には鉄がイオンになって溶け込んでいて、それが空気に触れたり、バクテリアの働きを受けたりして、水酸化鉄となり沈殿します。そのため、流路が赤く染まるのです」と富樫さん。つまり、水そのものは無色透明ですが、沈殿物が赤褐色のために赤く見えるということです。驚きですね。「鉄鉱泉」は、飯縄・黒姫・妙高の山々のふもとに多くあるといいます。また、「ソブ」という川の名前は、水を口に含むと鉄の渋い味がするため「渋水(シブミズ)」からきたのではないかといわれています。
この酸化沈殿物が水田に硬い層を作るため、中宿区の耕地は水稲に適さないとされてきました。区誌には『古来よりこの地に生を受けた故の宿命とあきらめていた』とあります。鉄分を含む水であることを逆手にとり、泥染めや銭湯営業などが行われた時代もあったそうです。ただ、洗濯をすると布が赤茶色に染まってしまうため、戦後生まれの人は「なんせ白い服なんてなかったな」と話してくれました。
戦後になって、地元有志らによる積極的な水質調査や気象観測により、沈殿池の設置による水質改善が提案され、1972年に霊仙寺湖が完成しました。霊仙寺湖は、鉄分と主とした鉱物を沈殿させ上澄みを配水する人造湖なのです。以来、住民は豊かな農地を維持してきました。
ただ、全く「ソブ」がなくなったわけではなく、今も田んぼや水路に赤い沈殿物が見られます。2003年に、いいづな歴史ふれあい館で開かれた「中宿の歴史・今昔展」では「ソブ水」と暮らしをテーマに、泥染めを再現する試みも行われました。再現に携わった丸山ミサオさんは「中宿の歴史を仲間とともに理解した懐かしい思い出」と振り返ります。
地元の牟礼小学校でも、霊仙寺湖やソブ川の歴史や今を学びに取り入れています。2019年度に社会科の授業を担当した堀内弘美先生は「郷土の発展に尽くした人々がいたことを知ってもらいたかった。子どもたちは身近な地域の歴史について、認識を新たにすることができました」と言います。
水道水で洗濯をする現在は、衣類が染まるといったこともなくなりました。牟礼地区の水道水は、きれいな水として地元の誇りでもある大門川や深井戸から取水しています。また、三水地区も、近くの深井戸や飯縄山西麓を源流域とする鳥居川から取水しており、飯縄山麓の“いい”水が水道水や大切な農業用水になっています。
建設水道課上水道係の小林政幸さんは「大門川を誇りとした牟礼地区、3つの用水が地名の由来になった三水地区ともに、水を大切にし、こだわってきました。水質も良く、安心して飲める水ですよ」と話してくれました。
すぐそこに見える山から流れてくる川なのに、赤く見えたり、成分が違ったり……。すべてが山の恵みなのですが、このうち、良質な地下水や川の水が水道水源となります。富樫さんは、この不思議について「山は巨大で複雑な浄水場といえますね」と説明してくれました。
ふだん何気なく生活していますが、飯綱の暮らしをさまざまな水で支えてくれている飯縄山を中心とした山々に、自然の神秘を感じずにはいられません。そして、自然のままの資源といかに共生し、活かしていくかを考えた先人たちの知恵には敬服します。「いい水」と「恵まれた環境」を守ってきてくれた先人たちに、感謝の気持ちを忘れずにいたいものです。