日本中の山や川、湖、沼はもちろん、当然、飯綱町の土地にも名前がついています。それが地名です。
住所表示に使われ、郵便番号とも連動していますが、いつごろから使われるようになったのでしょう。そしてその名前の由来は、と考えるといろいろなことが見えてきます。
●まずは、『ナンだ! これ?!』
地名といえばまず、「飯綱町(いいづなまち)」があります。これは、2005(平成17)年10月1日に当時の牟礼村と三水村が合併してできた町名(自治体名)です。
由来は、言わずもがな、このエリアのシンボルである飯縄〈綱〉山からとったのでしょう。
では、牟礼(むれ)とは何でしょう?「人が多く集まるところ=群れ」に由来する、とか「むろい(室飯・室井)」が語源という説があります。「むろい」には、山の入口という意味があるとか。確かに牟礼は、飯縄山や霊仙寺山の入口で、現に「室飯道(むろいみち)」という地名もあります。
三水(さみず)は、三本の用水に由来する、というのは史実ですが、実は「三水」という地名はなく三水村という自治体の名称があっただけなのです。
●続いて、『大字(おおあざ)ってナニ?』
これも地名です。前記のとおり郵便番号と連動しています。この辺りの郵便番号は「389-12〇〇」なのですが、前半の「389」は、飯綱町や信濃町、飯山市など広い範囲を示し、下四桁の前二桁「12」は飯綱町、後ろ二桁が「大字」を表しています。
ちなみに389-1212は、「飯綱町大字豊野」を示しています。
豊野と言えば、長野市豊野町(旧豊野町)という土地があります。では、なぜ飯綱町に「豊野」があるのでしょうか?
飯綱町の「豊野」は、牟礼駅から鳥居川沿いの北東と、さらに南に広がっている土地です。西側は大字牟礼、その南は大字平出、そして桃の名所「丹霞郷(たんかきょう)」の一部を含む広いエリアです。
1889(明治22)年4月1日の町村制施行に伴い、当時の豊野村(その後豊野町)から分村され、翌年の5月17日に中郷村(その後牟礼村、現在は飯綱町)に合併しました。この辺りは豊野村の一部であったことから豊野が残っているのでしょう。
牟礼駅の住所は、大字牟礼ですが、プラットホームの一部はなんと大字豊野なのですよ!
●珍しい地名や難解な地名
まずは、芋川にある「はじかみ」。はじかみとは、山椒(サンショウ)の古名で、わが国で一番辛い香辛料だとか。きっとこの辺りにたくさん生育していたのでしょう。
ほかにも、「御所ノ入(ごしょのいり)」「京田(きょうでん)」「百々(どうどう)」などは深い意味や歴史がありそうな地名です。「蛇越」「蛇声」(じゃごえ)は、何か伝説がありそう。
「ドブ」「土府」「土浮」(どぶ)は、川の流れたあとの湿地や沼だったのかなあ。
バラ々(ばらら)という地名は、どんな意味があるのでしょう。茨の原(いばらのはら)が転じたのかもしれません。
「屋敷添」「屋舗添」(やしきぞい)は、あちこちにあります。昔から家が建ち、人が住んでいたのでしょう。
「狢石(むじないし)」「盗人石(ぬすっといし)」「牛首(うしくび)」などは、想像力を掻き立てられます。ぜひその由来を知りたいものです。
「善知鳥」は、(うとう)と読むそうですが、不思議な地名です。塩尻市と辰野町の境の善知鳥峠は中央分水嶺の一つでもあって有名です。
「宇藤(うとう)坂」も読みは同じですが由来は果たして同じなのかな。
「覗(のぞき)」「大明神(だいみょうじん)」「独活ノ上(うどのうえ)」も地名です。
「蟹原(かにはら)」地元では、(がにやら)と言っています。サワガニがたくさんいたのでしょうか。
「舟石(ふないし)」「夏井戸(なついど)」「長者窪(ちょうじゃくぼ)」という地名もあります。舟石には、舟の形に似た巨石があります。夏井戸、長者窪にもそうしたシンボルのようなものがあり、それが地名となったのでしょうか。
「茶磨山(ちゃうすやま)」「四ツ屋」「本郷」「小路(こうじ)」「築地」(地元の方は(つうじ)と呼んでいます)という地名。ほかの市町村でも聞いたことがありますね。
ここで挙げきれなかった地名や、地元で残っている呼び名もたくさんあります。
これらの地名を考え、名付けた人々はどなただったのでしょう。住職や修験者、あるいは領主(大名)かもしれませんし、そこを開拓し、耕した人々かもしれません。
貴重なものなどに由来して名付けられたのでしょうか。
私たちが住んでいる場所の地名から、そこにどんな思いが込められているのか、どんな由来があるのか、思いをめぐらせてみるのもいいですね。何かおもしろい発見ができるかもしれません。
取材協力:いいづな歴史ふれあい館