トップいいいいいいづなマガジン横浜から通いでリンゴ栽培!? 団塊世代が活躍する「浜っ子中宿農園」
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横浜から通いでリンゴ栽培!? 団塊世代が活躍する「浜っ子中宿農園」

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左から、池田さん、小泉さん、渡辺さん

りんごっ子保育園のほど近く。里山に見守られ、あたりには田んぼとりんご畑が広がる飯綱町の中宿。昔ながらの農村風景に囲まれ、住民同士が協力し合って暮らすこの集落に、「浜っ子中宿農園」はあります。
ここで作っているのは、りんごにプルーン、サクランボ。飯綱町の代表的な果物です。
しかし、この農園が他とはちょっと違うのは、農園主さんたちが横浜や東京から通いでやってきて、果樹の管理をしているということ。

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浜っ子中宿農園では、有機肥料を使ったリンゴ栽培をしている

「そもそものきっかけは、2007年頃、私が横浜の生活クラブの『援農』ツアーに参加したことでした。農作業のお手伝いをするために飯綱町に来たんだけど、すごくいいところでね。孫たちに、こんな田舎を作ってあげたい。どうすればここで生活できるんだろうと思って、通い始めた。それが始まりですね」
そう話すのは、農園代表で横浜市在住の小泉正夫さん。

小泉さんは、援農で知り合いになった農家さんにお願いし、年に1〜2回、農作業を手伝いながら家に滞在させてもらうことに。そんな生活を数年間続けているうちに、地元に知り合いが増えてきました。
あるとき、ご近所さんに「中宿に空き家があるけれど、よかったら住まないか?」と声をかけてもらった小泉さん。じっくり腰を据えて飯綱町で生活してみようと、家を借りることにしました。

「3年間、ほとんど飯綱町で暮らしました。冬は寒いから横浜に帰ったけど(笑)。1年目は飯綱町ふるさと振興公社で農業の助っ人(農繁期に作業を手伝うアルバイト)として働いて、2、3年目は別荘地やゴルフ場の外管理の仕事をしてね」

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眺めの良い浜っ子中宿農園のリンゴ畑

その後、生活の拠点を再度横浜に移しましたが、飯綱町の中宿の家に通い続けたという小泉さん。あるとき、親切にしてくれた近所のおばあさんが亡くなり、2反歩(600坪)ほどの畑が空いてしまったという話を耳にしました。農家を継ぐ人がいないため、このままではおばあさんが大切に育てたリンゴの木は切られてしまうということでした。
2010年、小泉さんは借りている家を「柳里庵」と名付けて拠点にし、横浜から通って運営する実験的な農園「浜っ子中宿農園」を立ち上げることを決心しました。

「リンゴをやってみようということにはなったけれど、なんせ自分も振興公社の助っ人として作業した経験しかないですからね。集落の人たちにアドバイスをもらったりして、いろいろサポートしてもらいました」

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初夏の摘果作業を行うメンバーたち

小泉さんは最初、横浜のテニス仲間に声をかけて、農作業を手伝ってもらいました。
「でも、農業を手伝ってみたけど、『やっぱり大変で、自分には合わないから収穫だけしたい!』って言う人も出てくるんです。そういう人には会員になってもらって、会費として運営費を納めてもらい、収穫だけ楽しんだり、採れた果物を送って食べてもらったりすることにしました。今では会員が約30人、実際の農作業は、今でも付き合いのある小学校時代の同級生や友人たち6〜7人が頑張ってくれています」

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地名にちなんで柳里庵と名付けられた家。囲炉裏もあるが、冬はとても寒くなる

年間の飯綱町での作業日数は100日ほど。1度来ると、数日から数週間滞在します。もちろん、滞在中は自炊です。
「若いうちならいいけど、70歳近くになってみんなで共同生活をするっていうのも、平気な人とそうでない人がいるんですよ。過去の栄光とかも関係なくなっちゃうし、みんな一人ひとり、素の人間として付き合うわけです。だから、同じ方向を見て、一緒に夢を追いかけていけるかどうか、というのはすごく重要ですね」

取材日に作業していた渡辺義高さんは、小泉さんの小学校の同級生。小泉さんとは50年来の付き合いだそうです。
「全然農業とは違う分野で働いていたんだけど、プライベートで農業のリーダーを育てる学校へ行ったり、ボランティアで横浜の若い農家さんを手伝ったりしていました。好きなんですよね、農業が。だからこっちで農作業ができて、気持ちがいいです」
東京都出身の池田茂さんは、小泉さんの娘さんの会社の上司。小泉さんにスカウトされて、飯綱町に通うようになったそうです。
「生まれも育ちも東京なので、私もやっぱりずっと田舎が欲しかったんですね。だから、中宿に来るとホッとします。子どもの頃は東京にも畑がいっぱいあって、手伝いもしていましたよ」

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地区のお祭りには、たくさんの人が柳里庵に集まる

飯綱町に通い始めて9年。昔から住んでいる周りの人たちともすっかり友だちになりました。小泉さんが滞在中に声をかけると、ご近所さんたちがお酒や野菜を持って集まり、柳里庵はたちまち宴会場になるそうです。
「我々のように都会から来た人間が、地元の人に気にかけてもらえて、一緒に食事ができて、お酒が飲める。そんなふうに受け入れてもらい、溶け込むことができるのが嬉しいんですよ」と、池田さん。
その言葉を受けて、渡辺さんが楽しそうに言います。
「昨日もね、地元の人が来て一緒に夕飯を食べたんですけど、畑で採れた野菜を持ってきてくれてね。キュウリを一口食べたら、スーパーで買う野菜とは食感が違うんですよ。みずみずしさと青々しさが際立って。かじったときに、パリッと音がするキュウリなんて、残念ながら横浜のスーパーではお目にかかれない。キュウリをかじって、みんなで顔を見合わせて、それだけでもう、感激なんです」

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この日作業に参加した鳥居さん(左)と。3人は小学校の同級生だ

飯綱町と横浜。車で約4時間の距離があるため、作業に適した時期と、実際の作業との間にどうしてもタイムラグができてしまいます。しかし、ご近所さんたちの協力のおかけで、その時間差も最小限に抑えることができているそう。
「電話でリンゴの状況を教えてくれたり、自分たちが来る前に、家に風を通してくれたり。あと、高所のシートがけなど、自分たちだけでは危ない作業も手伝ってくれます。地元の応援には、本当に感謝していますよ」と、小泉さんは笑顔を見せます。

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今年3年目となったサクランボ。500円玉サイズのものも!

現在は、もともとあったつがるとフジに加え、シナノスイートやシナノゴールド、秋映、シナノドルチェなどの木も増えました。さらには、後継者のいないサクランボのハウス3棟の管理も引き継ぎ、新しい果物づくりにも挑戦しはじめました。
「今は人生100年時代。65歳で定年して、その後の35年をどうやって過ごすかは、自分次第です。私はここでリンゴを始めて、生活にハリが出て、楽しみが増えました。横浜にいるときも、あと何日で飯綱へ行かれるぞって思うくらい(笑)」と、小泉さん。

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浜っ子中宿農園は、人生100年時代をずっと幸せに生きるための先駆的な取り組みだ

団塊世代の70歳代。浜っ子中宿農園のメンバーは、新しい友だちと笑いあい、初めての作業に汗を流し、収穫の時期をワクワクと指折り数えながら、秋晴れの日のリンゴのようにみずみずしく輝く毎日を過ごしています。

写真提供/浜っ子中宿農園
浜っ子中宿農園 Facebookページ

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