トップいいいいいいづなマガジン食文化で見る飯綱町 −次世代に残したい飯綱町の伝統食−
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食文化で見る飯綱町 −次世代に残したい飯綱町の伝統食−

四季折々の農作物や豊富な自然食材に恵まれた飯綱町。先人たちは知恵を絞ってその恵みを生かし、独特の食文化を育んできました。今なお受け継がれている郷土料理から、町の地域資源である食の魅力をひもときます。

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夏の食卓に欠かせない「やたら」。食欲不振を乗り切る一番のごちそう

まずご紹介するのが、なすやきゅうり、みょうがなどの夏野菜を、大根など野菜の味噌漬けと一緒に細かく刻んで混ぜ合わせ、ご飯にのせて食べる「やたら」。暑くて食欲がない夏でもご飯が進み、「やたらとおいしいから」「やたらと多くの野菜を使うから」「やたらに刻むから」などの理由でこの名が付いたと言われています。

味付けの一番のポイントは塩辛い味噌漬け。特に3年味噌を使った味噌漬けだと、ぐっと味わい深くなります。

また、昔は忙しい台所仕事ゆえに1cm角ほどの大きな刻みだったそうですが、冠婚葬祭などでご近所同士が集まり、台所の世話などを手伝うなかで包丁さばきが競われるようになり、次第に細かくなったと考えられるとか。

夏は畑ですぐに材料が揃うのも魅力で、地産地消の郷土料理があることは町の誇りです。

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魔除けの力があると信じられ、精力がつく「いも汁」

続いてご紹介するのが、飯綱町では2月3日の節分の時期のほか、こきばしあげ(脱穀)のときには新米とともに食べられる「いも汁」。

「粘りのあるものを食べると精がつく」といわれ、食欲増進や滋養強壮の代表的な食べ物のひとつです。使用するのは長芋ではなく、粘りが強く甘みがある山芋(自然薯)。収穫できるまでに何年もかかる分、栄養価が高いことから、節分の寒い時期に食べると風邪を引かないと言われます。正月の1月2日に食べる家もあります。

また、町内の芋川地区の地名は上質の芋が採れたことに由来するという説も。「ゴリゴリ」とすり鉢ですりおろす音も味わい深く、かつては町内の赤塩地区で作られた陶器「赤塩焼」のすり鉢も多く使われていました。

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大原地区に伝わる「万宝院味噌」。山伏が伝えた伝統食

次にご紹介するのは、ちょっと珍しい調味料です。かつて日本各地の村々には山伏(修験者)がいて、山岳修行で得た薬草の知識を生かして薬剤師のような役目を果たしたといわれます。飯綱町倉井大原地区にあった「万宝院」も山伏寺院のひとつ。この寺院の山伏が地元の人の健康増進のために伝えた辛味噌が「万宝院味噌」です。

山椒の実の皮や唐辛子、ミカンの皮をすりつぶして味噌と混ぜたもので、刻みネギを加えるとごはんに合います。昔は貴重な米の食べすぎ防止のために冠婚葬祭でしか食べられなかったとか。また、大原地区外に出すと味が変わるとされ、広く出回りませんでしたが、近年「いいづな歴史ふれあい館」学芸員の発案で食育推進グループ「だんどりの会」が地元住民と研究し、商品化を果たしました。

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江戸時代に流行した宿場町のおもてなし料理「玉子ふうふう」

最後にご紹介するのは、江戸時代後期に全国的に普及した卵料理。食生活が豊かになった当時は多くの調理法が広まりましたが、そのひとつが「玉子ふうふう(ふわふわ)」です。

ダシでといた卵を直火でふんわり仕上げた料理で、江戸時代後期に牟礼宿に泊まった旅人の日記に、「旅籠で『たまごふうふう』を食べた」という記録があるのを2011年、富山大学の鈴木景二教授が発見しました。旅人へのおもてなし料理として提供されていたことがわかり、宿場町の食文化の一端が明らかになったのです。

その製法は町内に残ってはいませんでしたが、同年、「いいづな歴史ふれあい館」が行った北国街道開通400年記念事業に合わせ、「だんどりの会」がレシピを研究して再現。鶏肉ときのこを入れた現代風アレンジで、現在は「いいづなアップルミュージアム」にある「i café」で箱膳料理の一品として提供されています。

今回ご紹介した以外にも、飯綱町にはさまざまな郷土料理があります。食を通じて町の豊かさと暮らしに根づく文化や伝統を改めて見直してみませんか。

 

※本記事は「IIZUNA PROFESSIONAL PEOPLE VOL.3」掲載記事を加筆修正したものです。

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協力:飯綱町食の匠(だんどりの会)

飯綱町食育推進グループ。飯綱町や飯綱町教育委員会などと連携し、町内の学校での食育活動を推進。学校で行う教育ファームでは、会員が講師となって四季折々の農業体験や行事食、歴史的背景を伝え、食材と食文化の大切さを伝えています。

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