
2月のある日、飯綱町三水地区にある関果樹園「もりんご」を訪ねました。2年前に脱サラし、りんご農家へと転身した園主の森 渉(もり わたる)さんは、実は私の前職の先輩です。かつては同じ事務所で机を並べ、スーツ姿で一緒に営業の仕事をしていました。その森さんが50歳で早期退職し、奥さんの実家である飯綱町のりんご農家を継いだのです。

取材した日の朝、森さんは飯綱町の廃校活用施設いいづなコネクトEASTの「林檎学校醸造所」(シードル工場)へ、りんごの納品を済ませたばかりでした。
「ジュース用に売るより高く買ってくれるのでありがたいんだよ」と話す姿は、すっかり農家としての毎日が板についているように見えました。朝はスーツを着て決まった時間に会社に行っていた生活から、スーツを着ない生活になった森さん。生活は大きく変わりました。小学生の次男には「毎日遊びに行っている」と思われていた時期もあったのだとか。
森さんがりんご農家を志したきっかけは、飯綱町にある妻の実家のりんごを食べたことでした。実は森さんの父方の家も、長野市でりんご農家を営んでいたのですが、りんごに特別な関心は持っていなかったと言います。それが、「飯綱のりんごを食べたときに、長野市のと違うなって思ったんだよ。あれ?美味いなって」。

あるとき、飯綱町の義父が高齢になり、りんご農園の今後について家族で話し合うことになりました。誰かが継いでこのまま続けるのか、それともやめるのか。考えているうちに森さんは、「こんなに美味いりんごなのに、やめるのもったいなくない?」という思いが、次第に強くなっていったのだそうです。そして、48歳だった森さんは、自分のこれからの働き方についても考えました。
「サラリーマンって、がんばっても70歳くらいまででしょ。でも農家なら体が動く限り80歳でもやれる。実際、義父は70代後半でまだ現役だしね」
「よし、やってみるか」
迷いはありましたが、最後は腹を決めたと森さん。義父や奥さん、地域の先輩農家に教わりながら、講習にも参加し、一から技術を身につけていきました。

とはいえ、現実は甘くありません。
重たいりんごの運搬は重労働。畑での作業は、夏は炎天下のもと、冬はしびれる寒さのなかでも待ってくれません。雨の日も作業はあります。長野市内の自宅から飯綱町の畑まで片道1時間の通勤も堪えます。SS(農薬散布車)や乗用草刈り機の運転は危険と隣り合わせで、急斜面やぬかるみでは常に緊張を強いられます。そして最近は熊の出没も日常的なリスクのひとつに加わりました。

「もりんご」で栽培している主力品種はサンふじで、全体のおよそ4割を占めています。そのほかにも現在17種類のりんごを育てています。品種が多い理由は、収穫時期を分散させ、長く収益を得るためです。最も忙しいのは9月から11月にかけての収穫期ですが、それぞれの品種で旬が異なるため、作業は長期間にわたり、天気や気候に合わせた暮らしが続きます。冬は比較的落ち着く時期かと思いきや、そうではありません。雪が積もった畑では、来季に向けて剪定や接ぎ木という作業があります。
収入面について尋ねると、森さんは笑いながらこう言いました。
「いやあ思ったより儲からないね。ぶっちゃけ、サラリーマンのときの半分以下かな」決して楽な状況ではありませんが、表情に暗さは感じられませんでした。
「まあ、足りなきゃアルバイトとか別で稼げばいいだけだし」と森さん。深刻さよりも、前向きな割り切りが感じられました。

前向きな理由は、可能性も感じているせいかもしれません。昨年は、りんご狩り、ホームページからの通販、地元スーパーへの売り込みなど、販路拡大に積極的に取り組んだという森さん。縁あって信濃毎日新聞の取材を受けると新規の問い合わせが増え、また県外の物産展に出展したことがきっかけで飲食店との継続取引にもつながったそうです。
「やり方次第で、まだまだ売り上げは伸ばせると思う」
そう話す森さんは、今年はふるさと納税への出品を開始し、農園近くに直売所の設置も検討しています。さらに、近隣の宿泊施設などへの営業も進めるなど気合が入っています。サラリーマン時代に培った営業スキルを強みに、精力的に売り込みをしているようでした。そして、さらにさらに今年からは、ぶどう栽培にも着手するとのこと。ぶどうはりんごよりも単価が高く、収益拡大も期待できる作物です。軌道に乗るかどうかはこれからですが、将来を見据えながら新たな一歩を踏み出しています。

りんご畑の奥にぶどう畑を準備中
会社員を辞めて2年。振り返ってどう感じているのでしょうか。すると森さんは笑顔で「脱サラしてよかったよ」と答えてくれました。そう言い切る森さんの晴れやかな表情が、目に焼き付いています。体を動かす毎日で、暮らしは健康的そのもの。休日に仕事の電話が鳴ることもなく、クレーム対応に追われることもありません。組織の売上目標にプレッシャーを感じる日々から離れ、今は自分の畑と向き合う時間を過ごしていると森さん。「毎日イキイキしてるよ」と笑う姿からは、充実ぶりが伝わってきます。
りんご農家をしていて楽しいことは何ですかと聞くと、
「毎年りんごを楽しみにしてくれている人もたくさんいますし、特に新規のお客さんが『美味しい』と言ってくれる、そのひと言がやはり一番うれしい」と話してくれました。さらに、「剪定、摘花、摘果、消毒などそれぞれの工程で、すべての木の作業をやり終えた瞬間の達成感が格別」とも。
そして、もう一つ楽しいと感じているのは、
「どうやって売るか考えるのも面白いんだよ。しかも自分でやって、自分で結果が出るからね」
かつて営業として培った経験を、形は変われど農家になった今も活用している。畑に立つ農家でありながら、売り方まで自分で考えることができる、その手応えこそが、森さんの新たなやりがいになっているようです。

取材の帰り際、「今年分はもうほとんど残ってないわ」と言いつつ、わずかに残っていた“はねだし”りんごをお土産に持たせてくれました。収穫からだいぶ時間が経ち、“ぼける”と表現される、いわゆる果肉が柔らかくなって食感が落ちてしまったものですが、それでも、いただいたりんごにはしっかりとシャキシャキとした歯ごたえが残っていました。丁寧に管理されてきたことが伝わる味わいでした。
私も飯綱町に引っ越してから毎年、森さんの「もりんご」から自宅用と贈答用のりんごを買わせてもらっています。一度は途絶えかけた農園が、こうして絶やすことなく実りをつないでいることを思うと、うれしい気持ちになります。森さんがつくる「もりんご」のりんごを、ぜひ味わってみてください。
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関果樹園「もりんご」
〒389-1204 長野県上水内郡飯綱町倉井4611
SNS https://www.instagram.com/moringo_nagano/
WEB https://sekikajyuen.com/
※今年度分のりんごは、すでに一般販売を終了しています。来シーズンのりんごをお楽しみに。お求めの際は、早めの予約がおすすめです。
※「もりんご」では、りんご狩りも楽しめますので、お問い合わせください。