トップライター眞鍋 知子さん飯綱町在住の現代詩人、中尾太一さんのこと

飯綱町在住の現代詩人、中尾太一さんのこと

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みなさん、詩というと、どんなイメージがありますか。詩は、日常的にあまり触れる機会もないし、高尚な感じがして敷居が高い。そして自分の気持ちをさらけ出すようでちょっと恥ずかしい。正直、そんな印象を持っているかもしれません。
東日本大震災後の自粛ムードの中、テレビで幾度となく流れた公共広告機構ACジャパンのCM『こだまでせうか』の金子みすゞ、やさしい言葉で愛され絵本作家としても著名な谷川俊太郎、『自分の感受性くらい』で有名な茨木のり子、中原中也、宮沢賢治、北原白秋、高村光太郎、大岡信、萩原朔太郎……と、日本の詩人の名前を挙げれば、そうかあの人も詩人だったと気づくのではないでしょうか。

飯綱町にも詩にまつわるものがあります。りんごパークセンターの駐車場に、詩碑があるのをご存じですか? 詩碑には、昭和を代表する詩人、山本太郎氏の詩が刻まれています。山本氏は講演のために訪れた飯綱町(当時の三水村)で急逝され、これを悼み記念碑が立てられたのだそう。2018年10月には、山本太郎氏没後30年記念事業が催されました。そのとき併催された「こどもとおとなのための詩のワークショップ」で講師を務めたのが、飯綱町在住の詩人、中尾太一さん(46)です。
中尾さんは、
2006年、思潮社創立50周年記念現代詩新人賞受賞
2019年、第10回鮎川信夫賞受賞
2024年、『ルート29、解放』を原作とした映画『ルート29』公開
2025年、第40回詩歌文学館賞を受賞
と、錚々たる文学賞を受賞している現代詩を代表する詩人で、2022年に刊行した詩集『ルート29、解放』は、2024年に業界では異例の映画化となり、俳優の綾瀬はるかさんが出演して話題となりました。

詩人というと、身近にそんな存在がないことから、浮世離れしているのではないか、なんとなく近寄りがたそうなどのイメージを持ってしまいます。中尾さんとは10年来の友人で、偶然、同じタイミングで飯綱町に移住してきた私が、詩人とはいったいどんな暮らしをしているのか、ざっくばらんに質問してみました。

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中尾さんの出身地は鳥取県八頭郡若桜町。大学入学を機に東京へ移り住みましたが、体調を崩したため都会を離れてみようと、妻の出身地である長野市に引っ越してきました。しばらくして物件を探していたところ、飯綱町の東高原に、状態がよく値段も手ごろな家を見つけ即決。今年で飯綱暮らしも8年目を迎えます。
「とにかくここから見える山の風景に圧倒されたんだよね。引っ越してハイになって、活動範囲が広がってたくさんの人と知り合った。そのとき築いた人間関係がいまの糧になっているよ」
引っ越してきた当初は、住民運動会に参加したり消防団に入ったりしたものの、またしても体調を悪くして続けられなくなってしまいます。思い出すのは、消防団の制服をあつらえたとき。「18歳くらいの若い子たちと一緒にパンツ一丁になって着替えたんだけど、僕だけ40歳でそれが恥ずかしかったんだ」と照れ笑い。「あと、自分の家が町のどこに位置しているのか、どんな場所なのかということがあまりわかっていなかったんだよね」。しばらくして、ここが飯綱町の別荘地であり、いわゆる町のコミュニティから離れたところにいるんだと知ったのだそう。
「自分が暮らしている場所が、標高900メートルを超えているとは思わなかったよね。そして別荘地というのは、都市から来た人たちばかりだから、本来の飯綱町らしさは感じられないんだと知ったよ。最初は雪も楽しかったけれど、そのうち辛さもわかってきた。冬が大変だと春が待ち遠しいっていう同じ苦しみを味わえるようになって、やっと飯綱の住民になれた気がする」

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飯綱町の好きなところを聞くと、起伏のある風景を挙げてくれました。
「標高が高いところから、下っていくと見える里の風景、季節で移り変わる風景がいいなと感じるよ。僕は若いころ、人形劇の仕事で日本中を回ったんだけど、こんなふうにたおやかな、やわらかい風景は、ほかにはあまりないよ。僕は同じ場所に7年も住んだことはないんだよね。娘が小学校に上がるタイミングで越してきて、彼女を軸にここで7年間過ごした時間に自分たちがいた、という感じ。なにより、娘が自然の中で小学校生活をゆったりのびのびと過ごせたことがすばらしい」と感慨深げに語ります。
「飯綱町に住んで気になったことを追加すると、子育て世代が住みやすい町を目指すなら、小児科がないことを何とかしてほしいと思う」と、親としての一面も垣間見せてくれました。

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気になる、詩人の暮らしとはどんなものなのかも聞いてみました。
「一般論でいうと、多くの詩人はそれだけでは食べていかれないから別の仕事を持っているよね。大学教授になって学生に詩を教えている人もいるし、そうかと思えば、全然違う仕事をしている人もいる。だから、ものすごい体力を使うんだ。詩人になるというのは、デビューしたからではなく、そのあと何十年もかけて培っていくものだと思っている」

特にこの2年間は、朝起きてから寝るまで詩のことしか考えていなかった、言語の世界の中でしか生きてこなかったと中尾さん。朝起きてご飯を作って、詩に関わり、昼寝して、詩に関わり、夕方は娘を迎えに行き、詩に関わっていた、と話します。
「妻がすごく気を使ってくれて、詩にだけ集中できるようにしてくれた。家族に支えられて詩に向き合うことができたんだ」
妻が支えてくれる分、中尾さんは料理や掃除、洗濯など家事を引き受けています。「料理などはやるようになって覚えたけど、気分転換にもなるし好き」と言うだけあって、さまざまなレシピに挑戦していて、レモンタルトやシュークリームなどのお菓子も作れる料理男子。遊びに行くと、美味しい手料理をふるまってくれます。
しかし、「詩作に没頭していた間は、料理もあまりできなかった」。けれどようやく最近、春の芽吹きのように、料理をしたり薪仕事をしたりできるようになったとのこと。詩作に疲れると、りんご農家のお手伝いをして気分を整えています。「りんごの作業は好きだよね。特にお茶の時間が。飲んでも飲んでも注がれる無限お茶の感じとかね(笑)。自分が他者の風景の中にいる感じが、地域の風景になれたんだなと思うよ」

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飯綱町に来てから大きな文学賞を受賞していますが、移住してきたことによってご自身や作品に変化はあったのでしょうか。
「自分自身は変わってないよ。こういう自然豊かなところに暮らすと同じ1年はないでしょう。自然から感じる四季の移り変わりって、都市に住んでいると体にダイレクトに響いてこない。詩は都市のカルチャーだけど、自然の情緒に影響されているから、作品自体は都市のときとは違う言葉が出てくるようになった気がするかな。田舎は孤独になりやすいけれど、回復もするよね。今となったらこっちの方が、僕には向いているかなと思っている」

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また特筆すべきは、中尾さんの詩『ルート29、解放』(書肆子午線刊)が映画化(『ルート29』2024年製作/監督・脚本:森井勇佑監督/配給:東京テアトル、リトルモア/劇場公開:2024年/出演:綾瀬はるか、大沢一菜ほか)されたことです。詩が原作の映画というのは珍しいのではないでしょうか。
「現代詩が映画になるなんて滅多にないことだよ。もともと僕は映画監督の森井勇佑さんが好きで、たまたま森井さんの映画評を書いたら、森井さんが僕の詩集を読んでくれて感動したと言ってくれて、映画になったんだ」
映画の感想は、「映画評を書こうという視点では観れないし、作品を単純に楽しむこともできないから控えさせてもらうけど、あの詩集でよくこんな作品にしてくれたなあと思う。それにしても、綾瀬はるかさんはめっちゃきれいな女優さんだったよ」。

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現在NHKで放映されている大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」は、江戸時代の出版人、蔦屋重三郎の波瀾万丈な生涯を描いたものですが、大衆の娯楽として小説やマンガが発展してきた歴史がよくわかります。それに対して詩は、言葉を題材とした芸術といえるもの。詩と取材記事の違いを例に挙げて、「取材記事って、今回の僕のインタビューのようにわかりにくいことをわかりやすく書くのだろうけれど、詩はわかりにくくていいと思っている」と中尾さん。
具体的にはどういうことなのかと聞くと、「詩人は、自分と言葉との関係性をいかに濃くできるかを突き詰めている人。個が日本語の中で何を成せるかということなんだ。詩を書くその人の資質に決定されるところが大きくて、常に言葉の運動をやめず、いかに不確定なところに着地していくかということ。命を懸けて僕は詩を書いている」と返ってきました。難しく聞こえますが、凡人にはピカソの抽象画がわからないのと同じように、詩は、言葉の芸術であるということに尽きるのではと感じました。

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以前、山本太郎の没後30年記念で、子ども向けの詩のワークショップをやった際、中尾さんが詩を朗読しながらこみ上げる気持ちを抑えきれず、声を詰まらせながら読んだことがあります。同席していた私は、「詩を読みながら号泣するなんてへんなの」と思う子どもがいてもおかしくないかなと思い、見渡したところ、皆が真面目に聴き入っていたのが印象的でした。そのことを中尾さんに話すと、こう答えてくれました。
「人が本気で話す姿を見ることは、子どもにとって大事だと思う。たとえ意味がわからなくても」

詩を書くための条件は、「最低300編は書くこと。たくさん書いてたくさん読むこと」と教えてくれた中尾さん。5月に催される詩歌文学館賞の表彰式に出席するため、岩手県北上市へ家族3人で行くことを楽しみにしていると笑顔を見せてくれました。久しぶりの家族旅行は、どんな旅になるのでしょうか。
 

アート・ドキュメンタリー「Edge」
No.115 ルート29、その先へ 詩人 中尾太一(ダイジェスト版)
No.115 ルート29、その先へ 詩人 中尾太一(本編)

 

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