農業はたのしくて儲かる

土屋悦明さん(79)

農業は経営感覚、たのしくて儲かる、と土屋さんは言い切ります。
温暖化などの気候の大きな変化、その年の天候の予測に合わせて考える。そして、売れてるもの、みんなと同じものではなく、端境(はざかい)期にできるものをつくる・・・農業は長年の経験と言いますが、土屋さんはその言葉の地を行く人です。

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まずは天候や気候の変動に合わせた農業。労働時間や収支、肥料などのデータを毎日記録してその判断のデータベース(なんと60年以上の記録があるそう!)にしたり、その天候予測からりんごや特に野菜を作付する面積や種類を変えていくと言います。
続いて、端境期の農業。果樹は収穫できるようになるまでに時間がかかります。例えばりんごは5年から10年、桃は3年ほど。そのため、農地全体の一割ぐらいは空けておき、自由にテストしていくそう。そうやって予測してつくり、まだ手に入りにくい農作物だからこそ、値段が高く付く・・・
この他にも、そんなことを教えていいんだ、と思ってしまうくらいのことを土屋さんは教えてくれます。

子供の頃、ちょうど終戦後の時期に父親が今の飯綱町に家と少しの土地を買い、移住しました。10年は食べていけるという話でしたが、戦後の物価上昇、さらに父親の病気と、小学校4年生を迎える頃には、行商で新潟へ行ったり山を借りて大根やじゃがいもを育てたりして、母親や兄弟を支えながら働いて、やがて土地を取得し専業農家になりました。たいへんな苦労があったということは想像に難くありません。当時は、農家同士が栽培技術を教え合うなんて時代ではなかった時代。見て盗み、試してみる。その繰り返しのなかで、前述したデータをつけること、試みのための農地を用意して先読みすることなどのノウハウを生んでいったのでしょう。
土屋さんは当時、自分が農業技術を学べなかったことを思い、積極的に若い人たちに教えたり、一緒に研究会を立ち上げ、それを促進し、構造改善により桃団地の造成を行うに至りました。そしてついには、桃の全国大会を開くことなどへとつながっていったそうです。

土屋さんは言います。議員や農業委員、農協理事など、地域のためになることならばと、若いうちから積極的に務めた。講演をしてくれなんて言われるけど、人前に立つのは苦手だと言います。だけど、来てくれればなんでも教えてあげるよ、と。
農業の仕事で困ったことがあれば、なんでも聞ける人がいる、懐が深い師匠がいる飯綱町の環境のなんと羨ましいことか、と思ってしまいます。お話をお聞きした居間の壁には賞状や感謝状など、土屋さんの功績がズラっと並んでいました。また部屋の片隅には、かつて、土屋さんの元に集まり、地域の農業を語り合ったであろう仲間とのグラスも並んでいました。そして今またこれからも、そんな環境は開かれているんだろうな、と想像します。それは土屋さんの農業を教える寺子屋みたいな風景です。