おいしい!飯綱町

りんごのおいしさは、生育する環境で決まると言われています。飯綱町はりんご栽培に適した気候条件と土壌を備えるとともにあるのが、その条件を引き出す農家の創意工夫。
研究熱心な農家たちにより、更なるレベルアップが図られています。

おいしさの理由

<りんご栽培の理想的な気温>
りんごがおいしく育つためには、いくつかの条件があります。もともと冷涼な地帯で生まれたりんごですが、栽培に適した年間平均気温は10度前後。飯綱町は10.9度と理想的な環境です(収穫量の多い有名産地の平均気温は11度〜13度前後)
また、町内栽培地の標高は500〜600メートル。昼夜の寒暖差が大きく、濃厚で身の締まったりんごが実ります。

<太陽も大地も、りんごの育ちをしっかり応援>
りんご栽培には雨が少なく、やや乾燥した地域が適しています。飯綱町はりんごの生育に大切な4月〜11月までの降水量が、主要産地と比較して、733.5ミリリットルと最少。育ち盛りに日光をさんさんと浴びて育つため、着色も良くなります。
また、飯綱町の土壌は粘土質で、土中に水分や養分が多く蓄えられ、りんごに行き渡ります。こうした良い条件が揃った飯綱町は歴史的にも「りんご栽培の最適地」のひとつに数えられています。

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りんご栽培の歴史

<日本でのはじまり>
日本における西洋りんごの栽培は、明治5年頃アメリカからの大量の苗木輸入がはじまり。それまで日本で育てられていた和りんごに比べ、果肉が大きく甘いのが特長です。

<飯綱町でのはじまり>
飯綱町におけるりんご栽培は、牟礼地区で明治時代中頃から、三水地区では大正に入ってからはじまりました。町内全域で本格的に栽培されるようになったのは昭和に入ってから。それまで信州の基幹産業であった「蚕糸業」に陰りが出、桑畑から徐々にりんご畑に転換していきました。

<戦後は一大ブームに>
第二次大戦中は、作付統制令が出されたため伐採され、りんご畑は荒廃しました。戦後は荒れていた畑を立て直し、食糧難のなかでりんごは貴重な食料となり、生産量は飛躍的に高まりました。以来、りんご栽培は、今日まで続く飯綱町の基幹産業となっています。

<豊富な種類がある飯綱町のりんご>
「倭錦」「国光」「紅玉」「印度」「旭」からはじまり、現在は「ふじ」や「つがる」を中心に「王林」「ジョナゴールド」「シナノスイート」「陽光」のほか、「シナノドルチェ」「千秋(せんしゅう)」「アルプス乙女」「秋映」「紅玉」「新世界」「あいかの香り」「シナノゴールド」「ぐんま名月」「ブラムリー」「フラワーオブケント」「ブレンハイムオレンジ」「ベルドボスクープ」「スパータン」「グラニースミス」など多様な品種が栽培されています。
中でも今でも残る和りんごのひとつ、「高坂りんご」は土地の名前付けた唯一のりんごと言われています。
高井鴻山をはじめとした日本画家たちが残すりんごの絵はいま良く食べられている西洋りんごとは違った「和りんご」です。当時のりんごの姿を残す「高坂りんご」は日本中から注目されています。

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